東洋のハリウッド誕生秘話に迫る【昭和タイムスリップ見聞録002】

◆「カツベン」って何?

みなさんは、「カツベン」をご存じでしょうか?現代ではそこまで馴染みのない存在かもしれませんね。カツベンを漢字で書くと「活弁」、活動写真弁士の略称です。活動写真というのは、今で言う映画のこと。昔は無声映画と言って、音声が付いていませんでした。映像だけが流れているので、上映中に内容を説明する解説者がいたんですね。上映中のスクリーンの横に人がいるというのが、現代の感覚からするとシュールな光景だと思います。

活動映画弁士が活躍していたのは、はるか昔の話・・・。と思いきや、今でも少なからず活動されている方がいらっしゃるんです。その内の一人が、山崎バニラさん。ドラえもんのジャイ子役を務めていたり、ヘアスタイルと声も特徴的なので、ご存じの方も多いかもしれません。(山崎さんの髪がカツラであること知ってビックリ!)

◆イベントとの出会い

先日、なんとなくネットサーフィンをしていたら、たまたま翌日行われる山崎バニラさんのイベントを見つけました。テーマは、かつて松竹の映画撮影所があったことから映画の町として栄華を極めた「蒲田の歴史」。山崎さんのことも、活動映画弁士のことも全然詳しくありませんが、ふと思い立ち、チケットを購入。蒲田=映画の町だったと聞いたことはあるけど、現代の姿しか知らない僕にとっては、当時どんな様子だったのか興味が湧いたのです。

イベントのフライヤー

◆イベントの内容と感想

イベントは休憩を挟んで行われた2時間弱の2部制。最初は山崎さん本人がリサーチをして編集にも挑戦した動画と語りによる「蒲田ことはじめ」。つまり、蒲田がなぜ映画の町となったのか?背景を時系列に説明してくれるコーナーです。松竹撮影所では、ハリウッドから技術者を招き、映画黎明期をリード。「東洋のハリウッド」を目指すという意気込みで、新しい文化の中心地は、当時大きな賑わいを見せていたようです。

一通り、蒲田の映画黎明期をおさらいしたところで、ここからが山崎さんの、活動映画弁士の真骨頂。2本の無声映画を見ながら、実際に解説を充てていきます。解説と言いましたが、ただ説明をするだけではなく、登場人物のセリフも話します。的確か分かりませんが、映像付きの落語+講談のようなものとイメージしました。ちなみに、落語と講談自体もなじみがないという方に向けて、どこかで聞きかじった話をすると、落語は「会話」、講談は「ナレーション」がざっくりと表した違いだそうです。落語は会話で情景を浮かばせ、講談は俯瞰で見ている感じですね。

(当日の演目)

  • ①私のパパさんママが好き(コメディ)
  • ②母(メロドラマ)

山崎さん曰く、「自分は女性としての目線でセリフを充てていきましたが、男性の弁士がやると視点が変わると思います」とのこと。落語や講談も、演目が同じであっても、演者が違えば色合いが大きく変わることがあります。無声映画でも、上映作品が同じでも観に行く回によって、違った味わいが生まれていたのかもしれません。映画に音がないことに対して、どのように楽しめばよいのかピンとこないというイメージもありましたが、それはあくまで今の自分の感覚。当時の人々にとっては、音がない状態しか知らないわけです。むしろ映像(写真が動くこと)が画期的だったんだと思います。弁士によって、あるいは同じ弁士でもコンディションや時間が経つにつれて、内容が変わってくるとなると、1つの作品でいろんな楽しみ方ができそうですね。

今回のイベントを踏まえて、すぐさま無声映画にハマるのかと言われると、やはり音声付きの映画に慣れているので、自分の趣味としては、後者を好むのだろうと思います。それでも、映画というフィルターから町の歴史、文化の歴史に触れることができたのは、貴重な経験でした。そして話芸のプロへの憧れがあるので、ライブで人を魅了する姿はカッコ良かったです。

最後に・・・

山崎さんが「イベントを観た後でも楽しめると思います」とおススメしていたYOUTUBEの動画を紹介します。「銀幕女優とモダンガール」というオンライン番組です。「蒲田映画祭」というイベントの元プロデューサー岡さんと、一般社団法人日本モダンガール協會代表の淺井カヨさんによるトークセッションです。映画史や大正・昭和初期の歴史に興味のある方は、見てみてください。

コメントを残す