最近、このコミュニティも含めて自分と同年代、もしくはそれより下の世代でも昭和ポップス好きの人達が増えてきているのを、ニュースや雑誌、SNSなどの媒体を通じて目の当たりにする中、自分が昭和ポップスになぜハマっていったのかを考える、またそのことをアウトプットする機会がなかったことに最近気がついた。
家族で出かける際にカーステレオで聴いていたサザンオールスターズ、松田聖子、何気なく観ていた「速報!歌の大ジテン!」…あらゆる形で昭和ポップスに触れるということはしていたと思う。だけど、サブスクもない、お小遣いも少なくCDを買ったり、レンタルすることもできなかったので、それを拡げていくとは思わなかったし、そういった考えもなかった。
特に、昭和ポップスに初めて触れた時期、幼少期〜中学生くらいの頃は、周囲の人間の音楽の趣味は、モーニング娘。やジャニーズ系といった、いわゆる当時の流行りの音楽を好む傾向が強かったような気がする。洋楽が好きな人もいなかったと思う。しかも、変わった趣味を持った人間は、虐められたり、排除されるような空気もあった(実際に、そのような光景を目にすることもあった)ので、自分が「サザンや桑田佳祐が好き」、「昭和ポップスに興味がある」といったことを公言することもできなかった。
そんな時期も高校に入ってから、少し好転してくる。
割と自由で、音楽や美術と言った、芸術を好む人間が多かった高校に進学して、自分の“好き”を徐々にではあるが、公言できるようになった。
音楽が好きな同級生と友達になり、行動を共にすることになったのだが、「普段何聴いてるの?」と聴かれた時に「80年代の曲とかが多いかな〜」と素直に答えられるようになっていた。当時は、確かサザンはもちろんのこと松田聖子やチェッカーズを聴いていたと思う。
その際に、それまでの経験から「変な目で見られるのかな?」と思ったのだが、「へぇ〜全然知らない。今度教えてよ!」、「中森明菜良いじゃん」といった感じで逆に興味を持たれた。その時が「あ、自分の趣味を曝け出しても良いんだ!」人生で初めて思った瞬間だったと思う。当時は、YouTubeも普及し始めていたし、TSUTAYAなどでCDをレンタルするようになっていたので、意識的に昭和ポップスのオムニバスCDを借りるようになった。少し音楽的なものに興味を持つようになっていたので、昭和ポップスをフレーズや自分がやっている楽器にフォーカスして聴くようになったのも、ちょうどこの頃である。自分の“好き”に素直になれたおかげで、もっと好きになって拡げていくようにさせてくれた、現在の原点はこの時期だったのかもしれない。
その当時の仲間たちとは、一緒にバンドを組んでいた時期もある。そのバンドで、自分が作曲をすることもあったのだが、「こんな感じのフレーズで!」と説明したり、メロディの参考にするのは昭和ポップスの楽曲が多かった。作詞もどこか昭和ポップスの匂いがする傾向が強かったのだが、それもひとつの個性として認知してくれている。
バンドが活動休止してからも互いのライブを観に行ったり、観に来てもらったりするようになっているのだが、今でも関係性は変わらない。僕も友人達の音楽的趣味に触れたりしたし、友人達も一緒に歌謡バーに行ったり、昭和ポップスに興味を持つようになり、「コイツは昭和ポップスめちゃくちゃ詳しい!」という感じで、自己肯定感みたいなものを高めてくれた。
自分にとって「昭和ポップスって何だろう?」って考えてみた時に盆栽なのかなと思う。
幼少期にカーステレオで聴いたサザンオールスターズは、自分も好きになり、自分のお小遣いでCDを買ったり、ファンクラブに入ったり、ライブに行くようになった。周囲に“好き”をなかなか公言できなかった時代からずっと大事にしてきて、丁寧に扱って、手入れをしていくうちにどんどん拡げられるようになったと思う。
昭和ポップスを好きになって、ハマって、丁寧に扱うようになって、同じような趣味や趣向を持っている方々に出会って、様々な形でシェアしている。今後も“手入れ”を怠らずに、丁寧に取り扱っていきたいと思う。