みなさんは、宝くじで一等賞をもらったら何をしますか?
渡世は陰鬱になることばかり。宝くじが当たった時を空想して、気持ちだけでも豊かになるしかありません。先日、倶楽部のSlackでMBTI診断の話で盛り上がっていましたね。私は「ENFP:運動家」でした(吉田予備校3、まみこ3、コウキシャウト3と同じかな)。同じ診断結果を受けた知人から、「運動家の人は、たらればの話を考えたりするのが好き」と教えてもらいました。全くその通りで、私は業務時間中も仕事を忘れ、宝くじを当てた時のことばかり考えます。
車を買ったり、家を買ったり、高額なアナログレコードを買ったり、いろいろあると思います。私も物質主義な人間ですので、お金をかけるとしたら「もの」と決めています。それは人体です。人体改造を施そうと思っています。どんな改造を施したいか、いくつかあるので紹介させてください。
まず一つ。楽器人間です。私は、楽器になりたいのです。

改造の内容は、以下のとおりです。まず、胸部(心臓や肋骨)をくりぬきます。くりぬく際に、胸部の表皮を観音開きにして開閉機能を搭載します。くりぬいた後には、大きな空き缶を二つ投入します。イメージは粉ミルクの大缶です。中には、鈴を2、3個入れておきます。この空き缶は、私の脊髄にマジックアームでつながっています。
肩部にこさえたボタンを押すと、まず私の胸部の扉が開かれます。マジックアームが伸長し、空き缶が外部へ飛び出します。体表からおよそ50cmほどの位置で、それぞれ左右に8Hz(振動数/秒)で振動します。中には鈴が入っているので、大きな音で「ガラガラガラガラ」と鳴る、といった次第です。
なぜ、このようなギミックを私は必要としているのか。二つ理由があります。
一つはNHK教育「でこぼこフレンズ」に登場するキャラクター、「ケン・バーン」に対する憧れです。歯周が鍵盤になっており、空手で音楽を奏でることができます。私はエンジニアですから、コンピュータを貸与されなければ金を稼ぐことができません。仮にコンピュータがあったとしても、例えばランサーズやクラウドワークスで自ら仕事を獲得できるほどの能力は持っていません。組織への従属を示す社員証ストラップを首にかけなければ、飯を食うことができません。この身一つでは何もできないのです。私もケン・バーンのように、その身ひとつで音楽を奏で、NHKの収録で金を稼ぎ、そのまま飲み屋で素寒貧、宵越しの金を持たずに眠りにつくような、ワイルドな生き方をしてみたいものです(ケン・バーンがそのような私生活を送っているかは知りませんが)。
もう一つの理由は、自信持って街を歩きたいからです。都内には、一人で歩くには心細い街がたくさんあります。歌舞伎町、道玄坂、竹下通り…。なんというか、道行く人が怖いんです。みんな八頭身くらいあって、トレンド最前線の衣服を身にまとっていて、うまく言えませんが道徳を失ったような薄ら笑いを浮かべている気がします。私の眼には、歪んだ倫理観を持つ菅田将暉と、貞操観念が崩壊した小松菜奈が歩いているようにしか見えません。
私は比較的、自意識過剰なところがあります。自分のファッションが、道行く人からどう見られているかを常に考えてしまうのです。そのくせ、ファッションが大嫌いなのです。今では克服しつつありますが、昔は服屋に入ることができませんでした。ユニクロでさえ入店するやいなや発汗が止まらなくなります。結果、大学生の頃までお母さんに買ってもらった服を着ていました。自分の身なりがおかしくないかどうかを常に考えるくせに、オシャレに無頓着であることを改めない。矛盾した感覚を持ちながら生きてきました。
そんな私にとって、楽器人間へのイメージ・チェンジは救済なのです。都会のオシャレ・ストリートで不安に押しつぶされそうになったとき、私の胸元から出現した、鈴入りの粉ミルク缶が轟音を響かせることで、おそらく街の人間は蜘蛛の子を散らしたように逃げていくはずです。あるいはモーセの海割りがごとく、私の行く先にいる人波が真っ二つに分かれ、出エジプトを果たすことができます。胸元から響き渡るのは、私にとって福音といえます。旧約と新約の融合が今、実現するのです。
以上の二つの理由から、楽器人間手術を夢みています。
ここまでの説明で、一つの疑問が生まれます。それは、心臓が元々に担っていた機能をどうやって代行するのか、という点です。心臓は、生命維持、とくに血液循環のポンプとしての役割を果たします。しかし、つい先ほど私は心臓をくりぬいてしまいました。さもすれば当然、全身の血液が滞留・酸素供給が不可となり死に至ります。せっかく服を着たコンサートとして生まれ変わったのに、すぐに閉幕を迎えてしまうことになります。
代替案があります。楽器人間手術が可能なオペレータを世界中から探し出すために200万円、手術費用で3億円、はぐくみの大缶二つで4500円、DAISOで買った25個入りの大鈴が110円。私が年末ジャンボに当選したと考えると、手元には397,995,390円、およそ四億円が残ります。この全財産をつぎ込んで私が実現したいのは、全身心臓化計画です。

体のいたるところに、むき出しの血管を装着します。ザクの口元にある動力パイプをイメージするとわかりやすいかも。全身に張り巡らせたパイプ経由で血液を循環させるために、つむじからつま先まで収縮と弛緩を繰り返すことで、体ごと小刻みに振動させます。つまり、私自身が大きな一つの心臓となるのです。人造人間にして心臓人間といえるでしょう。体がビートを刻むたびに、血液が体中を駆け巡るのです。さながらジョナサン・ジョースターの「山吹色の波紋疾走(サンライトイエローオーバードライブ)」です(サンライトイエローという造語に山吹色という漢字をあてる荒木飛呂彦の感性たるや)。
このメカニズムを実現するために、筋肉や血管壁に対して振動や圧力をコントロールするための仕掛けを持たせる必要がありますね。ほかにも血流の補助・調整のために、ナノマシンを漂流させることも考えられます。ビクン、ビクン。失礼、胸部には鈴を用意しているので、ガシャン、ガシャン。一定のリズムで私の生命活動の響きを奏でることができます。生存とは、音楽なのです。
人そのものが心臓になるというのは、無限の可能性を秘めています。ホモサピエンスを最小単位とした、人類起点の宇宙フラクタル化構想です。

フラクタルとは、部分が全体と似た形状を持つ幾何学的な図形です。シダやローマン・カリフラワーが代表例です。これと心臓人間は「自己相似性(self-similarity)」という共通の特性を持っています。私はここに、人類が心臓人間へと進化することによって、天文学的フラクタルが構築可能であることを論証します。まず我々自身が心臓となり、それを動力源としたクローン人間を製造します。またそのクローン人間が、さらに拡大したクローン人間のエナジーとなります。この営みを繰り返すことで、原子人間を起点として無限に拡張することができます。ここまでは、しょせんマトリョーシカの相似形に過ぎません。
我々がフラクタルたるには、人と人とのインタラクティブが必要です。ある生命体について心臓が一つでなければならない、というルールは存在しません。心臓はいくつあってもよいのです。この惑星の生態系で例を挙げると、イカやタコがいます。彼らは左右に心臓を持ちます。同様に、私とあなたが心臓となり、ひとつの上位存在の生命維持装置となることも、いまや可能なのです。
複数の心臓が統合されたメタ・心臓人間の内部で、抱合される個別意思はニューロン・ネットワークを介したコミュニケーションをとりながら、無限の膨張活動を繰り返して巨大化していきます。実際の生態系でも生命体同士が密接に依存していますが、この構想においては「絶対的な相互依存」を実現します。人間ひとりひとりが心臓として機能し、全体の生命を支える役割を担います。これはまさに、ミクロ(個人)とマクロ(宇宙規模の生命体)が連動する仕組みを想像させます。
生物の枠組みを超え、母なる地球すら飲み込む一つの生命天体(バイオ・アストロノミカル)となり、次第に太陽系、銀河系、無限に広がる大宇宙そのものになるのです。ここに「人間は小宇宙(コスモ)である」という言葉の真の意味を理解することができます。

以上、宝くじを当てた私が望むところの全身心臓・楽器人間※について説明させていただきましたが、話はこれで終わりません。楽器人間手術および全身心臓化計画はきわめて論理的・持続可能なアイデアに見えて、ひとつ問題点があるのです。それは、デートです。
※改造した私は果たして、人間と言えるのでしょうか。見方によっては「自律する思考楽器(ヒューマンライク・ミュージカル・インストルメント)」ともいえるので、正しくは「楽器人間」ではなく「人間楽器」かもしれません。宇宙の正体は楽器である可能性があるのです。ただ、この思考実験は本稿のテーマから逸脱するので、便宜上は楽器人間と表記します。
皆さんは、心は人体のどこに宿ると考えますか?私は心臓だと思います。脳の神経ネットワークの相互作用、電気信号、化学的バランスの産物ではありません。恋愛感情や緊張感を感じるときに心臓が早く鼓動することから、感情の中心が心臓であるのは明白です。私は全身心臓・楽器人間であるため、意中のあの子の前で鼓動の高鳴りを感じた時、生命活動の副次的現象として、目の前でけたたましくゲリラ・ライブを始めてしまうかもしれません。
ガッシャンガッシャン「素敵な」ガッシャンガッシャン「ネイルだね」パカッ「魅力的な」ウィーン「ワインレッド」ガラガラガラガラ!!
恋愛教本で学んだ「相手の細部に気を配り、隙あらば誉めろ」というアドバイスを実践しようとすれば、たちまち相手の表情に陰りが宿り始めるでしょう。「宇宙規模の生存戦略的演奏活動(コズミック・サバイバル・オーケストラ)」か、彼女が推し量る私に対する好感度か。トレードオフ、苦渋の選択を迫られることになります。残念ながら私は、眼前に広がる世界にしか興味がありません。畢竟、宇宙の未来よりも彼女を選びます。理屈で恋はできません。
やはり愛を表現するのなら、体内でつつましく心臓を鼓動させる方が風情があるというものです。愛は、心の仕事なのです。
今日ご紹介する昭和ポップスはRA MU「愛は心の仕事です」です。
この曲について話すことは特にありません。