世界の中で一番愛されているスポーツは何ですか?
そう問われた時にあなたは何て答えるだろうか。
人によっては、「野球」、もしくは「バスケットボール」と答えるかもしれない。また、ある人は、「陸上」、「スキー」と答えるかもしれない。
僕だったら、問答無用で「フットボール」と答える。
フットボール…日本、アメリカでは「サッカー」と呼ばれているがヨーロッパ、南米では言語の違いはあれど「フットボール」といえばサッカーのことを指す。ボール1個あればどこでも出来るので、世界中で行われている。そこには肌の色、貧富の違いも関係ない。
世界中どこでも行われているフットボール…そこには古今東西、様々なカルチャーが存在する。今回は少しながら紹介したい
チャントの意義
チャントとは
フットボールのカルチャーのひとつに、“チャント”が存在する。
“チャント”とは、チームを鼓舞したり応援したりするためにサポーター、ファンが歌う歌のことである。一般的には“応援歌”と呼ばれることもあるが、フットボールの世界では“チャント”と呼ばれている。応援しているチーム、選手を応援するために歌うこともあれば、対戦相手(ライバル関係にあるチームに対してが多い)に向けて、挑発、侮辱、煽動するために歌うものもある。
日本では、考えにくいが、海外では宗教的、政治的、民族的なものがチームのアイデンテティーになっている例が多々ある。そういったイデオロギーもチームを応援する意味として成立し、チャントの原型になることもある。
チャントの原曲。あの和製ポップスもメジャーなチャントに!
チャントの原曲は、サポーター自らが作詞、作曲する例はあまりない。その国、もしくは世界中で歌われているポップス、軍歌、民謡が原曲となり、それぞれのチームのサポーターがそれぞれの歌詞を付けて歌われている。
日本ではペギー葉山、雪村いずみらの競作でヒットし、ドリス・デイが歌った『ケセラセラ』 (Que Sera, Sera) はイングランドのフットボールシーンでチャントとして、多くのファンによってスタジアムで歌われている。
歌詞は変えられているが、基本的にはカップ戦(負けたら終わりの一発勝負)の試合で歌われることが多い。サビのThe future’s not ours to seeの箇所をWe’re going to 〜(地名)に変えて歌っている。この箇所は俺たちはこの試合に勝利して、次の試合の場所に行くんだという意味合いで歌われている。
地名の話、具体的な例を挙げるとイングランドにはFAカップという1871年に始まったプロからアマチュアまで参加資格のある世界最古のカップ戦があるのだが、FAカップに出場するクラブのサポーターは、“We’re going to Wembley”と歌っている。Wembley(ウェンブリー)はイングランド代表のホームスタジアムであり、FAカップの決勝が行われる、フットボールの“聖地”ウェンブリースタジアムのことを指す。
現在、三苫薫、田中蒼、冨安健洋など数多くの日本代表選手もイングランドでプレーしており、毎年リーグ戦の合間にこのFAカップを戦っており、日本からもU-NEXTで視聴が可能だ。何かの機会でFAカップを観ることがあれば、『ケセラセラ』が歌われているか確認してみても良いかもしれない。
日本におけるチャント
昭和ポップスの使用例は多い。そのワケとは…
日本における、フットボール文化、チャントの誕生の大きなきっかけになったのは、1993年のJリーグ誕生である。
その前年の1992年に、日本代表のサポーター “ULTRAS NIPPON”が誕生し、ここから各クラブにサポーター集団、サポーターグループと呼ばれているものが登場し、応援を先導していくようになる。
1992〜1993年当時、応援を先導し、チャントを作っていた方々が原曲にしていたのは、電波から流れる海外の試合(当時はイタリアのセリエAが人気だった)で現地のサポーターが歌っていた曲や日本国内で歌われていた流行りの曲である。もちろん、その中には昭和ポップスも含まれており、歌詞を変えてチャントに生まれ変わっていった。
その当時に使われていたチャントは、形を変え、世代を超えて、Jリーグが誕生して約30年が経過した現在でもスタジアムで歌い続けられているものも多い。チャントで、昭和ポップスが多いのは、そういった理由である。
どんな昭和ポップスがチャントとして使用されているのか
チャントに使われている昭和ポップスの代表例が荻野目洋子の『恋してカリビアン』である。
元々はプロ野球西武ライオンズの秋山幸二選手の応援歌として使われていたのだが、洗練されたサビの8小節のメロディーはフットボールの応援の場でも広く採用されている。
1990年代中頃に日本代表の応援で「〜のゴールが見たーい〜」というように歌われており、それと同時期に様々なクラブで、『恋してカリビアン』が採用されるようになり、30年近く経過した現在でも様々なクラブで、様々な選手に向けて歌い続けられている。
特に、国内外9クラブを渡り歩き、昨シーズン限りで現役を引退した長谷川アーリアジャスール選手には、FC東京、湘南ベルマーレ、大宮アルディージャ、ガイナーレ鳥取の4クラブで『恋してカリビアン』がチャントとして歌われていた。
この曲がリリースされた後、『ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)』や『六本木純情派』といったヒット曲がリリースされるが、荻野目洋子の楽曲で最も歌われた回数が多いのは、この『恋してカリビアン』かもしれない。それくらい、プロ野球、高校野球話はじめとしたスポーツの応援シーンの中で親しまれている。
フットボールシーンの中での昭和ポップス
今回は昭和ポップスとフットボールがどのように混ざり合っているのか、また、“チャント”の意味合いや海外ではポップスがどのようにしてチャントになっているのかを簡単にではあるが、紹介させてもらった。
“チャント”は、フットボールカルチャーの中のごく一部であるが、切っても切り離せないものでもある。それは、パンの中の小麦粉のようなものかもしれない。
フットボールは、国や人種、時代を超えて愛されているスポーツであり、それに伴って伝統や文化も受け継がれていき、時代と共に発展を遂げてきた。これからもその流れは変わらないだろう。
昭和ポップスが原曲のチャントは、今回ご紹介した『恋してカリビアン』以外にもたくさん存在する。スタジアムに足を運んだ際は、「昭和ポップスとチャント」という観点で楽しんでみるのも面白いかもしれない。