松田聖子の魅力ってなんだろう?

 松田聖子

 1980年にデビュー。その圧倒的なルックスと数多くの名曲、”聖子ちゃんカット”、”ぶりっ子”というワードを世に生み出した、1980年代を代表する女性アイドルであり、60歳を超えた現在でも、数多くのファンを魅了している。

 今年(2025年)でデビュー45周年を迎え、6月4日(水)にベストアルバムをリリースした。

デビュー45周年を迎え、63歳になった現在でも精力的に活動する。6月4日には、ベストアルバムを発売した。

 特に彼女をスターダムに押し上げた、デビュー2作目のシングル『青い珊瑚礁』は韓国の女性アイドルグループNew Jeansのハニにカバーされるなど、世代を超えて親しまれている。

 彼女と同じ時代を生きた方々、いわゆる”リアルタイム世代”の方々は、歌番組やバラエティ、コマーシャル、ラジオなどでその魅力を感じることができたかもしれない。また、我々と同じ、もしくは後に生まれた”後追い世代”は、懐メロを特集した歌番組やカバー、YouTube、様々な音楽サブスプリクションで出会い、触れていると思う。

 僕は、松田聖子が全盛期だった1980年代を知らない、いわゆる”後追い世代”だが、懐メロ番組などで出会い、当時流行っていたモーニング娘。やAKB48にはないその世界観に惚れ込んでしまい、ベストアルバムをレンタルするようになっていた。

 松田聖子は、なぜリアルタイム、後追い世代を問わず、多くの方々を魅了してきたのだろうか…

 僕は、松田聖子が着物のようなアーティストであり、そのクオリティに多くの方々が魅了されたのだと思う。

最高の素材

 松田聖子は“最高の素材”である。高級、上品…衣服の生地で喩えるなら、シルクのような…

 小さな顔、大きな瞳…まさに正統派のアイドルに相応しいルックスに、それでいて、声質もハスキーで強さもある。アイドルとして、ここまで完成度の高い素材を持ったアーティストは、それまでいなかったのではないだろうか。

 生まれ持った“最高の素材”に“聖子ちゃんカット”や“ぶりっ子”といった本来持っている個性や、周囲のプロデュースによって、色染めのような装飾が施されて、良質な生地に仕上がっていったのである。

デビュー当時のあどけなさの残る松田聖子。“聖子ちゃんカット”と呼ばれるヘアスタイルは当時、多くの女性が真似をした。

 また、自ら作詞、作曲をしたり、髪をバッサリ切ってショートカットにしてみたり、「こうなりたい!」というセルフプロデュース力にも長けていた。周囲に装飾されるだけでなく、自分なりの考えを持って、理想の形に変化できるところも松田聖子が“最高の素材”である所以なのかもしれない

最高の職人

 着物は最高の素材を高い技術を持った職人が、仕立てて完成する。”最高の素材”である松田聖子も高い技術を持った職人、音楽クリエイターが仕立てを行い、完成度を高めていく。

 松田聖子の楽曲の制作に関わった音楽クリエイターは多種多様だ。呉田軽穂(ユーミン)、大瀧詠一、尾崎亜美、細野春臣、佐野元春、財津和夫など、シングル曲だけでも、ロック、ニューミュージック、シティポップと様々なジャンルの音楽を主戦場にしているミュージシャンが楽曲を提供している。それらの楽曲に松本隆が書いた幅広い世界観の歌詞が彩りを加えられて完成する。

 “最高の素材”松田聖子は、高い技術を持った音楽クリエイター、作詞家(職人)たちによって、多くの人々を魅了することのできる作品(着物)になったのだ。

 

仕上がった”着物”

 松田聖子が歌った、高い技術を持った音楽クリエイターが作った楽曲は数多く存在する。

制服

 1982(昭和57)年1月21日に発売された8枚目のシングル『赤いスイートピー』のB面に収録されている『制服』(作曲;呉田軽穂 作詞;松本隆 編曲;松任谷正隆)は、卒業式の日の片想いの異性に、想いを打ち明けられない女子高生の気持ちを描いた楽曲となっている。

 誰しもが経験する卒業式というイベントで、「こういうシチュエーションがあったら良いなぁ」と夢見るような情景が表現されていて、初めて聴いた時に「こんな可愛い娘が、ピュアな恋心を歌うのはズルい!」と本気で思ったのを覚えている。

 

ハートをRock

 1983(昭和58)年の6月1日に発売された通算7枚目のオリジナルアルバム『ユートピア』のB面の1曲目に収録されている『ハートをRock』は甲斐バンドの甲斐よしひろが作曲を行なっている、モータウンビート(4ビートのリズムパターンの1種)の楽曲である。

 様々なジャンルのミュージシャンが松田聖子に楽曲をしていたのは知っていたが、甲斐よしひろが楽曲提供していたのは知らず、この曲の存在を知った時は驚いた。

 甲斐よしひろは、『ハートをRock』だけでなく、同じアルバムに収録されている『赤い靴のバレリーナ』の作曲も行なっており、2曲とも甲斐自身もセルフカバーし、ソロ活動でのアルバムやコンサートで披露している。『HERO(ヒーローになる時、それは今)』、『安奈』をはじめとした甲斐バンドの時とは、異なった魅力を出している。

松田聖子は“着物”である

 最高な素材を高い技術を持った職人が手を施し、仕立てを行い着物は完成していく。

 松田聖子というアーティストも、元々の良い素材に高い技術を持った音楽クリエイターと作詞家が手を施し、完成していく。正に着物と同じである。

 着物は多くの人々を魅了する何かがある。だから、老若男女問わず冠婚葬祭をはじめとした、一大イベントに着用する方々が多いのだ。

 松田聖子も着物と同じく、多くの方々を魅了してきたから、現在でもリアルタイム、後追い世代問わず、多くのファンを集め、現在でも愛されているのかもしれない。

 

 

サザンオールスターズを胎教にして育ち、「速報!歌の大ジテン」を見て、昭和ポップス好きに目覚めました。

ボールを蹴ったり、観たり、たまーに演奏をしたりしています。

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