立て続けにブログを執筆していますが、テイストを変えて次は山口百恵さんの「いい日旅立ち」をピックアップしようと思います。
基本情報
まずは歌ありからお聞きください。
ほとんどの方がご存知1978年発売の24枚目シングル、当時の日本国有鉄道の旅行誘致キャンペーン「DISCOVER JAPAN 2」とそのキャンペーンソングですね。日本旅行と日立製作所の両方の名前入りのタイトル、逆に普通なのがまた新鮮味がありますね。
百恵さんのデビュー当初は千家和也さんや都倉俊一さんをはじめ、阿木燿子・宇崎竜童コンビによる作品も多かった中で、今作では谷村新司さんを起用されました。
オリコンでは最高3位、年間20位を記録し、ザ・ベストテンでは最高1位、年間34位を記録しました。また、累計売上は100万枚(レコード会社調べ)を記録し、累計では山口にとって最大のヒット曲となりました。
作詞・作曲:谷村 新司/編曲:川口 真
発売:1978(昭和53)年11月21日/演奏:CBSソニー・グランド・オーケストラ
制作秘話
始まりは一本の依頼からでした。前年の1977年初秋に、日本国有鉄道略から「キャンペーンソングを作ってほしい」と、百恵さんが所属していたソニー・レコードに、広告代理店を通じて依頼がありました。
百恵さんは当時19歳、森昌子、桜田淳子の中3トリオで競い合っていた時期を卒業し、独自の道を歩み出していました。百恵さんを担当していた酒井さん(当時42)は「山口百恵を美空ひばりに次ぐ国民的歌手に育てたいという意識が社内に芽生えていた時期で、国がスポンサーでもある国鉄の話は最高のきっかけになる」と感じたのです。
ソニーはこの依頼を快諾し、女性アーティストなら百恵さん、男性なら浜田省吾(当時24)を提案しました。国鉄は70年に「ディスカバー・ジャパン」(日本美の再発見)をうたい文句に、国内旅行ブームを巻き起こすのに成功していて、ジェリー藤尾の名曲「遠くへ行きたい」が効果的に使われていました。77年はその第2弾の企画で「今回は女性歌手で」という意向で百恵さんに白羽の矢が立ったのです。
しかし、当時の国鉄は、1975年にストライキ権回復の闘争(スト権スト)が激化するなど揺れており、累積赤字も膨らんでいました。新キャンペーンソングには、イメージアップと、赤字減らしの目的もあったとされるが、それ以前に、曲の制作を発注し、テレビで大量に流すだけの広告予算はとうにありませんでした。ソニーとしては、国鉄が企画を断念すれば、百恵さんの「国民的歌手構想」も叶いそうにありません。
すると国鉄は「キャンペーンソングの協賛」を、私企業に依頼してきました。車両造りなど密接な関係を持っていた「日立」と、元国鉄の社員や役員がいた「日本旅行」の2社がタイアップにつき、なんと予算面をクリア。企画はゴーサインとなりました。
制作にあたった酒井さんは「これで百恵さんは国民的歌手に一歩近づく」と2社の協賛に感謝し、タイトルに「日立」と「日本旅行」の社名を略した「日旅」を入れた「いい日旅立ち」とすることに決めました。そのタイトルで、谷村新司さんに「国鉄のイメージソングを作ってほしい」と作詞・作曲を依頼。歌詞には「あゝ 日本のどこかに 私を待ってる人がいる」など、国鉄色も反映されたのです。
「普通過ぎて、逆に新鮮」そんな反応だったようです。
谷村さんは、カタカナや難しい言葉を使わず作詞・作曲し、老若男女が口ずさめる曲に仕上げることに成功しました。
彼は百恵さんに対して、黒電話を通して、仕上げた「いい日旅立ち」を歌ったところ、百恵さんからの反応は・・・
「とてもいいと思います」「この曲、歌いたいです」そんな反応だったそうです。
1978年国鉄、日立、日本旅行がスポンサーとなって、それぞれ1カ月間テレビで流れ続けました。百恵さんにとって、ハード路線と言われた「絶体絶命」と「美・サイレント」の間にある曲で、「地味」「時代錯誤」との厳しい批判もあったなか、年が明けると見事大ヒット。今も老若男女に愛され、名曲として歌い継がれています。
CMとの相乗効果もあり、デモテープを受け取った時の予想通り、大ヒットになりました。80年に入ると、高校の音楽の教科書に掲載されたり、2007年には「日本の歌百選」に選ばれました。
構成・進行
それでは楽曲考察にあたり、秘話がわかってきたところで、構成や進行がどうなってるでしょう。それを紐解くために下記楽器分布をご覧になりながらオリジナル・カラオケをお聞きください。
左:ピアノ、アコースティックギター、ウィンドチャイム
中央:ドラムス、ベースギター トランペット エレキギター クラベス 女性コーラス
右:ハープ アコースティックギター ウィンドチャイム
左⇔右: ストリングス(左方向に高音域、右方向に低音域)
イントロは全楽器総動員と言ったサウンドで、壮大さを感じます。アコースティックギターによるアルペジオと駆け上がりを多用したストリングスでしっかりと壁を作り、合いの手(オブリガート)は極力控えめにしてボーカルをしっかりと聴かせようとの配慮が感じられます。
中央からやや太めの音のエレキギターが聞こえますが、ごく断片的で目立たず、
ミックスの際にかなり消されたのではと推測されます。
じっくりと聴いてみると時々ミュージシャンの主張を感じる演奏も散見され、特に間奏でベースギターがスラップしているのが耳に残ります。
しかしこの曲のカラーを決めているのは、イントロと間奏でのトランペットでしょう。
川口氏のアレンジは、ハープとピアノから始まり、郷愁のあるトランペットのメロディというイントロが、この曲を、より印象的なものにしています。
アレンジに関して川口真さんは「打ち合わせの時、川瀬くんからスケールの大きい感じにって言われたんだよね。それでイントロからトランペットのソロを使ってみようって。そういう曲ってほとんど無かったから。『いい日旅立ち』は曲の中身とは関係のないイントロをバンと当て込んでる。イントロ独自のメロディで勝負って感じですね。そういうイントロを書いてる時っていうのは編曲家というよりも作曲家なんです。個人的にアレンジ作業はイントロがすごく重要だと思っていて、何からやるかっていうと、イントロから考える。逆にイントロができたら、もう終わったも同然。イントロがうまくできたら、全部うまくいくって思ってるくらいですよ。谷村新司さんが『いい日旅立ち』をご自分で歌う時にもあのイントロを使ってくれたことはすごく嬉しかったですね。」と語っています。
川口氏はそれまでにもシングル「赤い絆」などでアレンジを担当しましたが、「横須賀ストーリー」以後の編曲は萩田光雄氏が主導していた印象が強く、
川口氏の起用はやや意外な気がします。
「涙の太陽」(安西マリア)のホーンにもフェイズシフターが使われていますし、
川口氏が好むエフェクトなのかも知れませんね。
感想
川口氏ならでは重厚感あふれるサウンドアレンジだと思います。そういえばさにーさんがNHKラジオに出演された際に、イントロが似ている「時の流れに身をまかせ」も川口氏によるアレンジだと話を思い出しました。スーパーイントロやったら間違える人出る問題を聞いて、その通りだと思いましたが、それだけ川口氏の要所要所こだわり抜かれたアレンジがあるんだなと頷いています。
それではまたどこか別の記事でお会いしましょう。次回もお楽しみに。

