この大空に 翼を広げ 飛んで行きたいの
悲しみのない 自由な空へ 翼はためかせ 行きたい
このフレーズを音楽の授業などで誰もが一度は、口ずさんだことがあるだろう。
フォークグループ赤い鳥が1971(昭和46)年に発表した、『翼をください』のサビの部分である。サビの一節を目にしただけで歌詞はあやふやでも、メロディーを口ずさめる方が大半だろう。
この曲は、フォークソングであるだけでなく、合唱曲としても多くの方々に広く知られているが、実は筆者より少し年上のサッカーファンにとっては、特別な1曲として知られている。
それは、サッカー界の危機を乗り越えるべく、多くのファンがピッチで戦う選手たちや、現場で奮闘している人々に対してエールを送るために、声を張り上げて歌ったからである。
今回は、『翼をください』が何故、サッカーファンにとって特別な1曲なのか、また、その背景にあったストーリーを紹介したい。
『翼をください』について
『翼をください』は、1971(昭和46)年2月5日にフォークグループ赤い鳥の4枚目のシングル『竹田の子守唄』のB面として発表された。
B面なのにヒットしたワケ…ラジオリスナーからの口コミと教科書での採用
リリース当初はB面の曲ということもあって、あまり世間に広く知られることはなかったが、ラジオでのオンエアやリスナーからの口コミを中心に「B面の曲が凄すぎる!」次第に話題が集まり、A面を凌ぐほどの人気を集めた。
1976(昭和51)年に教科書大手の教育芸術社の編集者が合唱曲として教科書に採用したことが大きな転換点となり、広く知られることになった。また、ポップス系の楽曲が教科書に載る期間は短いことが多い中、本作は1970年代後半から現在に至るまで小・中・高全ての音楽教科書に掲載されており、世代を超えて多くの方々に広く知られることとなった。

サッカーファンにとって特別な1曲となった理由
サッカーファンにとって、特別な1曲になった理由はいくつか存在する。それは、日本代表がまだ、W杯に出場したことない時代に、選手、ファン、スタッフ等サッカーに携わる数多くの方々がW杯出場を願って、奮闘していたエピソードである。
①経営危機のチームを支えた
最初のきっかけは、1997(平成9)年に現在J2を戦うサガン鳥栖の経営危機の際にサポーターが歌ったことである。
サガン鳥栖は1995(平成7)年に、静岡県浜松市(当時のチーム名はPJMフューチャーズ)から、佐賀県鳥栖市に活動拠点を移し、鳥栖フューチャーズという名前でJFL(Jリーグより1つ下のカテゴリーのリーグ)を戦っていたが、2年後に運営会社が経営危機に陥り、チームは解散の危機に瀕していた。
その受け皿として、現在のサガン鳥栖が設立されたのだが、経営は苦しいままであった。その際に、サポーターたちが「チームを助けてくれ!」というメッセージを込めて歌われたのが『翼をください』だった。
その後、チームは経営を立て直し、2年後の1999(平成11)年に発足した、J2(Jリーグディビジョン2)に加盟。2012(平成24)年から2024(令和6)年までの、13シーズンに渡りJ1(Jリーグディビジョン1)戦った。個人的には、鳥栖のアウェイは楽しいので、またJ1に昇格して欲しいのが願いだ。
②W杯初出場を願った歌だった
1997(平成9)年10月26日、東京、国立競技場の夜空の下、スタンドでこの曲が大合唱された。
この時、日本代表は初のW杯出場を懸けて、フランスW杯アジア最終予選を戦っていた。
9月〜11月まで約2ヶ月間、ウズベキスタン、UAE(アラブ首長国連邦)、韓国、カザフスタンの4チームとホーム&アウェイの総当たりのリーグ戦で行われたのだが、この予選で日本代表は、苦しい戦いを強いられることとなる。
2試合を終えて、1勝1分だった日本は、3戦目のホームの韓国戦で逆転負けを喫してから雲行きが怪しくなる。4戦目のアウェイのカザフスタン戦に引き分けて、加茂周監督を更迭し、コーチの岡田武史を監督に昇格させた。それでも事態は好転せず、続くアウェイでのウズベキスタン戦も引き分けに終わり、遂に日本は自力でのW杯出場の可能性が途絶えてしまった。
「この状況を何とか打破してもらいたい!」そう考えた、サポーターたちは、ホームのUAE戦の前、日本代表にエールを送るために『翼をください』のサビの部分の歌詞を“オーオーオー、ニッポン、ニッポン、ニッポン、夢を叶えよう”というリフレインが続き、最後に、“フランスに行こう必ず!”と結ぶ形に変えて、国立競技場のスタンドで大合唱したのであった。
この曲が採用された理由は以下の通りである。
・日本人なら誰でも知っているようなもので、一発勝負をかけられるような曲
・前述のサガン鳥栖の件でサッカーファンなら誰しもが“分かっている”
日本代表がW杯に出場する、しないは当時の日本のサッカー界において死活問題であった。そんな状況下で、エールを送るために『翼をください』は多くのサポーターによって合唱された。ホームのUAE戦は引き分けたものの、続くアウェイの韓国戦、ホームのカザフスタン戦に連勝。イランとのアジア第3代表決定戦に勝利し、W杯初出場を決めた。

『翼をください』を通じて伝えたい、日本サッカー界が必死だった話
2026年6月12日(現地時間11日)FIFAワールドカップ北中米大会が幕を開ける。
日本代表は8大会連続の出場を果たし、史上初のベスト8を目指して本大会を戦う。今回紹介したエピソードは、W杯に出れなかった時代に、必死になって本大会出場を目指した選手、ファン、スタッフ等サッカーに携わる多くの人間と『翼をください』を紡いだ話であり、日本のサッカーカルチャーを語る上で忘れてはならない話のひとつである。
世間では、W杯出場は当然で、本大会でどこまで勝ち進めるかが大きな関心事となっている。しかし、 W杯出場が宇宙旅行へ行くぐらい夢物語で、本大会に出場するために必死だった時代があった。W杯開幕前にそんな時代の話を思い出して、改めて日本代表を応援したいと思う。
