先日、「日本一、世界一、ギネス認定……音楽のいろんな『1位』」と題し、「シングル売上日本一」「コンサートの開催回数日本一」などさまざまな「1位」の記録を残している楽曲やアーティストをコラムにて取り上げました。それに続いて、今回はオリコンチャート上のいろんな「史上初」の記録を取り上げていきたいと思います!
シングルの記録
オリコン史上初めてシングル1位を獲得した曲
オリコンチャートが正式にスタートしたのは、1968年1月4日付の記録から。この週に1位を記録した、つまりオリコン史上初の1位を記録した楽曲は、黒沢明とロス・プリモス「ラブユー東京」でした。
ちなみに正式スタートは上記の通り1968年ですが、1967年11月2日付から実験的なチャートの制作は行われていました。このプレスタートの際の初の1位はジャッキー吉川とブルーコメッツの「北国の二人」であり、これは「幻の1位」とも呼ばれています。
そのため、以下で表現する「初めて」「史上初」は、すべてオリコンチャートがスタートした1968年1月以降におけるデータの上でのものになっています。
初めて売上100万枚を突破したシングル
史上初めてのミリオンセラーを達成した楽曲はザ・フォーク・クルセダーズ の「帰って来たヨッパライ」(1968年2月15日付)。早回しの音声や、曲中の破天荒なストーリーが話題になりました。この曲のヒットを受けて、1968年には大島渚監督による映画化も行われています。
ちなみに、初の200万枚を突破したシングルはピンキーとキラーズの「恋の季節」(1969年3月3日付)です。以前のコラム「日本一、世界一、ギネス認定……音楽のいろんな『1位』」でも、この曲は17週連続1位という連続1位獲得週数の記録を打ち立てた楽曲であると紹介しました。このことから、「恋の季節」は発売して突然何百万枚も売れたのではなく、コンスタントに毎週売れ続けて200万枚に到達したということがわかります。
史上初の初登場1位
初めての初登場1位曲は、日本で一番売れた曲でもある子門真人「およげ!たいやきくん」。そもそも、初登場1位とはどういうことでしょうか?「初登場1位」というフレーズは今ではわりとよく聞きますが、「どんな楽曲でもこの歌手の曲が出たなら必ず買います」というファンが付いているわけでもない限り、発売直前に音楽番組に出てちょろっと歌ったくらいでは初登場1位なんて土台無理な話なんですよね。逆に言うと、初登場1位を獲得できるのは「発売前にかなりしっかりとプロモーションができていること」「その歌手の曲が出たら(たとえそれがどんな楽曲でも)必ず買うファンがついていること」が必要になります。
「およげ!たいやきくん」はというと、前者の「発売前にかなりしっかりとプロモーションができていること」にあたるのですが、これは全く計画的なものではありませんでした。もともとこの曲は『ひらけ!ポンキッキ』の番組内で流すために作られた楽曲で、レコード発売の予定すらなかったのです。しかしながら1975年10月5日に初めて番組で流されてからというものの、局への問い合わせが殺到。この要望に答えるような形で、2ヶ月以上後の12月25日にレコードを発売しました。図らずもしっかりとしたプロモーションがなされた上で、さらに大衆の期待値が上がりに上がっていたタイミングでの発売ということもあって、初登場1位に結びついたことが考えられます。
デビューシングルにして史上初の初登場1位
たいやきくんの説明から、当時は「初登場1位」がいかに難しいことであったかがおわかりかと思いますが、それが仮にそもそも歌手の認知が必要なデビュー曲だったとしたら、余計に難易度が高いと思いませんか?それを初めて達成したのが、近藤真彦さんのデビューシングル「スニーカーぶる〜す」でした。
経緯として、まず近藤真彦さんは1979年10月にTBSのテレビドラマ『3年B組金八先生』の生徒役で芸能界デビューしています。このときマッチさんとともに生徒役として注目されたのが、「たのきんトリオ」として後に知られる田原俊彦さん、野村義男さん。1980年3月に番組が感動の最終回を迎え、この3人のドラマ後の次の動向が期待される中、まずは同年6月に田原俊彦さんが「哀愁でいと」でデビューします(この曲も実は史上初の初登場トップ10を獲得したデビューシングルとして記録に残っている)。そして半年後の12月に近藤真彦さんが「スニーカーぶる〜す」で満を持してデビュー。そしてこれが史上初のデビュー曲にして初登場1位を記録するわけです。
要は期待に期待を重ねさせて初登場で爆発させるという、「たいやきくん」のときの現象を偶然ではなく(おそらく)意図的に起こさせたということですね。ジャニーズの(たのきんトリオはジャニーズ事務所所属)、世間の期待値の醸成する力や、それを察知する能力がいかに卓越しているかを推し量ることができます。
歌手の記録
次は、オリコンチャート上「初」となった歌手の記録を見ていきます。
初めて1位を獲得したアジア出身歌手
日本でデビューした多くのアジア人歌手の中で、初めてシングルチャート1位を獲得したのは欧陽菲菲さん(台湾出身)のデビューシングル「雨の御堂筋」(1971)。この曲は9週間連続1位を獲得しました。初にして9週連続はすごすぎる。
初のシングル総売上1000万枚を突破した歌手
史上初めてシングル総売上1000万枚を突破した歌手は、ピンク・レディーです。11枚目のシングル「ジパング」で達成しました(1979年4月16日付)。その後ピンク・レディーに続き、森進一さん、山口百恵さんらが総売上1000万枚を達成しています。その他、昭和の時代に総売上1000万枚を突破したのはこちらの9組。納得の顔ぶれをご覧ください。
▼達成順. 歌手「総売上1000万枚を達成した曲名」(発売年)
- ピンクレディー「ジパング」(1979)
- 森進一「新宿・みなと町」(1979)
- 山口百恵「愛染橋」(1979)
- 沢田研二(ソロ)「恋のバッド・チューニング」(1980)
- 西城秀樹「南十字星」(1982)
- 郷ひろみ「美貌の都」(1983)
- 五木ひろし「長良川艶歌」(1984)
- 松田聖子「ハートのイアリング」(1984)
- 中森明菜「I MISSED “THE SHOCK”」(1988)
ピンク・レディーについては、初というのはさることながら、そのスピードにも注目したいところ。ピンク・レディーのデビューは1976年8月なので、3年も経たないうちに1000万枚に到達していることになります。上記の9組の中でも異例の早さでの達成ですね。
ピンク・レディーはさらに、史上初めて年間トップ3を独占した歌手という項目でも記録が残っています(1978年、1位:UFO、2位:サウスポー、3位:モンスター)。1978年はほかにもキャンディーズ「微笑がえし」、中島みゆき「わかれうた」、山口百恵「プレイバックPart2」、渡辺真知子「かもめが翔んだ日」、サザンオールスターズ「勝手にシンドバット」等大粒ぞろいのヒット曲が名を連ねている中での年間トップ3であることから、いかにこの記録が快挙であったかということがわかります。
初の3曲同時トップ10入りを達成した歌手
史上初めてトップ10の中に3曲ランクインした歌手が、チェッカーズです(1984年5月14日付、「ギザギザハートの子守唄」9位、「涙のリクエスト」6位、「哀しくてジェラシー」1位)。
まずデビュー曲の「ギザギザハートの子守唄」は、発売した時点ではほとんどヒットせず、チェッカーズがブレイクしたのは2作目の「涙のリクエスト」でした。チェッカーズ人気が沸騰していく流れで前作の「ギザギザハート」にもスポットが当たるようになり、さらに「涙のリクエスト」が大ヒットしている最中に3作目「哀しくてジェラシー」が発売されたことで、3曲が相乗効果を発揮して「3曲同時ベストテン入り」となりました。昭和のアイドルは約3ヶ月おきにシングルを発売するので、3曲をリリースするには最速のスパンでも6ヶ月強が必要です(チェッカーズの1〜3作目までの期間は7ヶ月強)。その上で80年代の熾烈なチャート戦線をくぐり抜けて10曲中3曲をランクインさせるのはまさに至難の業。単純にチェッカーズの人気ぶりがすごいというだけでなく、売れ方の面白さも感じさせてくれる記録です。
番外編
初の週間最高2位以下で年間1位を達成した曲
これは渥美二郎さんの「夢追い酒」なのですが、要はオリコン史上初めて、週間最高位で1位を達成していないのに年間で1位を達成した楽曲ということです。ず〜〜〜っと地道に売れ続けてロングセラーになり、1位はなかなか取れないんだけれども、他の曲がどんどん入れ替わる中でもこつこつと売れ続け年間トータルでは1位になった曲ということですね。実際に発売された1978年2月時点では鳴かず飛ばずだったそうですが、渥美さんご本人の全国での地道なプロモーション活動が実り、翌年1979年の年間1位に輝いたとのこと。どちらもすごいですが、初登場1位とはある意味対極にある称号かもしれません。
まとめと余談
前回の「1位」のコラムもそうですが、単に「史上初」というだけでなく、なぜその曲(人)が初めてだったのか?どういう売れ方をしたからその曲だったのか?を考えることで当時の世間の反応やマーケティング背景を推測することが出来るところが、チャートの面白さだと思います。いつかExcelにすべてのチャートや売上を入力してデータ分析したいという野望があるのですが、いつになることやら。。そのときにはきっとコラムにしますので気長にお待ちください。
最後に余談ですが、最近更新された記録をひとつ。
先日、松任谷由実さんが10月4日に発売した新アルバム「ユーミン万歳!~松任谷由実50周年記念ベストアルバム~」が、オリコン週間アルバムランキングで初登場1位を記録したというニュースが出ていました。
参考:松任谷由実がオリコン初の快挙 「ユーミン万歳!」で6年代連続アルバム1位 史上5組目!昭和、平成、令和3世代でも – サンスポ
これで松任谷由実さんは、1970年代~2020年代までの6年代連続でアルバム1位を獲得するオリコン史上初の快挙を達成。さらに、アルバム1位獲得最年長ソロアーティストの記録としては68歳9ヶ月で女性アーティストでの歴代1位に輝きました(ちなみに、男女含めたアルバムの最年長1位獲得ソロアーティストは、矢沢永吉さん)。
こちらのアルバム、昭和ポップス倶楽部でも「購入した!」という声を聴きました。現役で記録を更新し続け、「史上初」を作り続ける歌手の方々。すごすぎる!
昭和ポップス倶楽部では、音楽を一緒に楽しむ仲間を募集しています!
平成生まれによる昭和ポップス倶楽部は、昭和ポップスの魅力を共有・共感し合うのコミュニティとして運営しています。
おもな活動内容
- メンバー限定チャットで24時間いつでも交流!
- 毎月(最低)1回、交流会を開催!
- メンバー限定Webサイトで各種コンテンツを楽しめる
- オフ会も多数開催!忘年会や新年会、BBQなども♪
そのほか、楽しみ方・活用の仕方はあなた次第!
一人でも多くの昭和ポップス・歌謡曲好きな方々とその輪を広げられるよう、随時新たなメンバーをお待ちしています。気になる方はぜひ一緒に楽しみましょう!!
※昭和60年(1985年)以降生まれの方が対象です
参考資料
本日11月2日は「北国の二人」が幻の“オリコン史上初のシングル1位”に輝いた日 – ニッポン放送 NEWS ONLINE
1984年5月14日、チェッカーズがオリコンのベスト10に3曲同時ランクイン大人のMusic Calendar大人のミュージックカレンダー
~足立大好きインタビュー~演歌歌手 渥美二郎さん|足立区

