平成生まれ昭和育ちへのインタビュー【昭和にまるごと魅せられた若き逸材・大内さん】

昭和の音楽が好きな若者は、年を追うごとに増えています。SNS上には中学生や高校生がいることも、珍しくありません。でも、いったい彼らはどうして昭和の音楽を好きになったのでしょうか?そのきっかけや思いをインタビューしていく、昭和ポップス倶楽部によるシリーズ「平成生まれ昭和育ちへのインタビュー」

第5回となる今回は、出張編!宮城県村田町に住む、昭和をこよなく愛し、昭和30年代の家具や家電を収集する大内さんにインタビューをさせていただきました。

平成生まれの大内さんがいったいなぜ昭和文化に惚れ込んだのか、「お部屋紹介篇」「インタビュー篇」の2つに分けてご紹介していきます!

※マスクの着用・アルコール消毒をして取材をさせていただいています

→過去の平成生まれ昭和育ちへのインタビュー

大内さん・お部屋紹介篇

今日はたくさんのグッズを保管されている大内さんのお宅に伺い、取材をさせていただきました。大内さんがどんな人か言葉で説明するより、このお部屋を見ていただいたほうが伝わるだろうということで、まずはお部屋の中とお持ちのグッズをご紹介いただきます。

今回取材を行ったのは昭和ポップス倶楽部の代表であり、宮城県出身のかなえ氏です。

貴重な昭和家電の数々

大内さんのお部屋!所狭しと貴重なグッズが並ぶ

いや〜、これは、すごいお部屋ですね!
このお部屋は全体的に昭和何年代をイメージされているんでしょうか・・・?

だいたい、昭和30〜40年代を意識しています。
それ以前のものもありますが(笑)

大内さんはその時代の家具、家電とそれに追随する骨董品がお好きなんですよね。では、早速お部屋を拝見させていただきます!

これは真空管テレビですね。現在のテレビ放送も観れるのでしょうか?

はい、今も東北放送が観れます。DVD鑑賞などでも使っています。

では、こちらの物はなんでしょうか?

こちらは真空管のラジオで5球スーパーといいます。これは、スピーカーとして使っています。
これのスピーカーを使って戦前の歌などを聞くと、とても味かあっていいんです。ちょっと感度が悪いんですが・・・微調整して使っています。

手で微妙な調整をするのも、味があっていいですね。

そしてこちらにもラジオがありますね!これはなんでしょうか?

こちらは並四型のラジオです。

玉音放送で印象深いラジオですね!

その上の提灯はなんですか・・・?

この提灯は、弓張提灯といっていって、時代劇とかで「御用!」といっている人が、持っている物です。これを畳むと弓みたいになるんです。

へえ!この中に蝋燭を入れて使っていたんですよね。

そうです。ほんとは和紙も張り替えないといけないんですけどね。

当時のままの珍しい雑貨がたくさん

こちらは、おちょこですか?

そうです。昔、戦争で軍隊から帰ってきた兵隊さんに贈られたものです。

ほんとだ!「除隊記念」って書いてありますね。

要するに「無事に帰ってきた」お祝いで、隣近所に配っていたそうです。あと、自分で飲むようにということで。
他には、湯呑みや風呂敷などがあったりします。

お名前も刻まれていて、特別な感じがありますね。

このおちょこ、逆さにすると、鉄かぶとみたいになるんです。

おおすごい!本当に鉄かぶとに見えます。
桜や碇や大砲が描かれているものがありますね。海軍、陸軍の除隊を記念してデザインされているように見えます。

こちらのおちょこには歩く29、佐藤さんと書いてありますが、どういう意味でしょうか?

これは、歩兵第29連隊という意味です。例えば、仙台は第4師団だったので、その地域の兵隊は第4となります。ちなみに仙台にはこれを作るお店があったそうです。

当時の書籍からも昭和を探究する大内さん

この本は何でしょう?

この本は、昔、農協が出している「家の光」です。昭和15年から19年の末まで発行されていました。あとこれは、軍隊の教科書です。

軍隊の教科書と言いますと・・・

車の免許と同じで、免許を取る際に実地と学科があるのですが、その学科の方で使う教科書です。

なるほど。兵器だったり、戦闘機の操縦方法などが描かれているのでしょうか。

そうですね。他にも敵の陣地を調べるための測量だったり、いろんなことがのっているんです。でも、なかなか私でも読めないですね。

確かに、なかなか読みづらい。
これを読んで、みんな戦地に赴いていたのですね。

しっかり勉強していたのは、まだ余裕があった頃で戦況が圧迫していくと、赤紙一枚で行ってしまうんですよ。
この「家の光」も戦況が圧迫していくうちに、本の厚みも薄くなってきて紙質も悪くなっていってるでしょ。

確かにそうですね・・・。
ところで「家庭で手軽にできる化粧品」「日焼けを治すトマトジュースの作り方」って面白い特集ですね。

一般的で、貧乏だけど手軽に取り入れられる特集が結構あります。

確かに!広く子供でも読めるような工夫を感じます。

こちらの刀は本物ですか?

この刀は軍刀拵(ぐんとうごしらえ)といって、本物の日本刀です!

お持ちなんですね!でも、刀はかなり昔に禁止になりましたよね。

そうですね。一応ちゃんと許可も取っています。最初は明治に廃刀令で刀を破棄する法律ができたんですが、日露戦争と日清戦争で刀をまた使い始めるんです。当時はまだ白兵戦でちゃんちゃんバラバラな戦い方をしていましたから。

その後、軍刀が作られるんですが、太平洋戦争で日本が負けた後に兵器とみなされて刀は作られなくなったんです。
僕が持っている本物の刀は戦国時代に使用されていたものです。
ちなみに戦国時代の刀は古刀と呼ばれ、それ以降は新刀と呼ばれています。

本物の刀なんて見たことがなかったので、とても驚きです。

私は、三島由紀夫を尊敬しているので、刀を見ると思わず連想してしまいます。三島由紀夫が使っているのも同じものですよ!

えーっ!これをお持ちだったんですね。最期の時もこれを持っていたとは感慨深いですね。

まだまだたくさんある、貴重品の数々!

そういえば、大内さんは国民服をお持ちでしたよね。

これは本物で、見るとボタンが木でできているんです。軍服だと金が使われているんですが庶民的な国民服はみんな木のボタンなんです。

結構、ポケットがたくさんあっていろんなものが入りそうですね。

このポケットに手帳だったりを入れていたのでしょう。

この古銭の額は本物ですか?

これは本物で、江戸時代の古銭です。

この看板は・・・!

これはホーロー看板です。多少の雨風で錆びたりしなしようにホーローで作っていて、実は裏にもデザインがあります。

この看板はよく見かけますね!大村崑さんのオロナミンCはまさに昭和40年代を象徴していますね。錆の具合にも、モノの丈夫さがうかがえます。

これは何ですか?

これは薬箱。

へぇー!しかも、地元の名前が入ってる。こういうのって当たり前にオリジナルで作っていたのでしょうか?

これは、むかし仙台にも富山の薬売りっていうのがあったでしょ。

ちょっと存じ上げないです…

仙台だともうなかったのかな…僕の中学生の頃まではあったんですが。
昔は常備薬を継ぎ足しで訪問販売するのがあったんです。その時に、薬売りが配っていたんです。

そんなものがあったんですね。
いやいや・・・同じ県に住んでいても、こんなにギャップがあるのは面白いですね!

多分、田舎と都会の違いもあるのかなと思います。

大内さんのお部屋の家具や雑貨は昭和の雰囲気を感じつつ、物持ちの良さも感じることができました!

大内さん・インタビュー篇

さて、衝撃的なコレクションをたくさんご紹介いただきましたが、いったい大内さんはどのような経緯でこのようなグッズ収集を始めることになったのでしょうか。
そして大内さんが思う昭和の魅力とは何なのか、迫っていきたいと思います。

大内さんと昭和文化との出会い

お部屋と貴重なグッズの数々をご紹介いただき、ありがとうございます!ここからはぜひ、大内さん自身のことについてお話を聞かせてください。
早速ですが、大内さんは平成何年生まれですか?

平成9年8月8日生まれです。

(2021年1月現在23歳)

私と大内さんは同い年なんですよね。
そんな大内さんが昭和の文化に触れたきっかけは、なんだったのでしょうか?

亡くなった曾祖父と曾祖母がきっかけでした。うちは、親も祖父も祖母も働いていたので、「誰に預けるか」となったら、曾祖父と曾祖母しかいなかったんです。だから、いつのまにか物心ついた時には、昭和にハマっていました。

大内さんのひいおじいさん、ひいおばあさんははいったいどんな方だったのですか?

とにかく古い人だった。戦中戦後を経験してきたからいろんなことを教えてくれたんです。

一緒にいるうちに、自然と影響されたのですね。

そうですね。最初は「古いものが好き」だったんですが、徐々に「昭和が好き」になっていったんです。

ちなみに、このお部屋にあるような昭和の家具・家電は当時からおうちにあったのですか?

ありました。当時この地域では、内線放送があって、電話で住んでいる町内の天気とか亡くなった人の訃報を黒電話でお知らせしてくれていたんです。そういうのが、最近まで普通にあったんですよね。
だから、地区全体が昭和って感じでした。あと、さっきこの家までの道路があるでしょ。そこ、つい最近までは砂利道だったんですよ。

えー!それって、何年前くらいですか?

10年前くらい。だから、最近まで昭和の道だったんだよね。そういう環境があちこち至る所にあった。だから、そういう影響を受けているんじゃないかなぁ。

大内さんってどんな人?

この部屋はずっと大内さんのお部屋だったんですか?

ここは元々子ども部屋でしたが、僕はほとんど茶の間にいました。本格的にこの部屋を使いはじめたのは中学校になった時からでしたね。

では中学生のときから、このお部屋を本格的に自己流にしていったわけですね。
大内さん、どんな中学生でしたか?

とにかくドリフが大好きな少年でした。
学校で「聴きすぎだ」って怒られてCDを没収されたりもしましたね。
それで、どうしたものかと考えた結果、クレイジーキャッツにいったんですよ。

まさかの方向転換!

クレイジーキャッツの「黄金作戦」という映画にドリフが出ているんですけど、それが運のツキだった。それが面白くて、面白くて、もうドリフどころじゃなくなっちゃったんです。それが中学2年生の時でした。

それが大きな引き金になったのですね!
その後高校時代は、当時の骨董品などは集めていたのですか?

そうですね、その頃からちょくちょく買いはじめていました。もともと今のテレビの前にもう一台あったんです。それがシャープのカラーテレビで、チャンネルを回すタイプで、ちびまる子ちゃんに出てきそうなやつです。
それは震災の時に廃品回収からもらってきたんですよ。でも数年前に壊れちゃって、そのタイミングでこの真空管テレビをYahoo!オークションで購入しました。

このテレビ、60年代のものかと思いますが、その辺りもクレイジーキャッツさんに合わせているんですしょうか?

そうそう!クレイジーキャッツの一番すごかった時に合わせようってことで、これで映画を見ただけでも当時の雰囲気を感じられるように、同じくらいのテレビを探しました。

最も好きな歌手は植木等さん

大内さんが最も好きな歌手はやはり、植木等さんですか?

そうですね、誰がなんと言おうと植木等です。

さすがですね!
元々、ドリフがお好きで植木等さんに魅了された大内さんですが、その魅力っていったいなんだったのでしょうか。

初めてクレイジーキャッツを見た時、底抜けに明るい姿が憧れでもあり、「真似できないなぁ」と感心しました。
でも、植木さん自体はすごく苦労もされている方なので、そんな苦労も見せないような明るい姿に魅了されます。

クレイジーキャッツシリーズで、一番好きな映画はなんですか?

やはり、「日本一のホラ吹き男」です。普段は、映画をあまり見ませんが仕事から疲れて帰ってきて、たまに見たりすると、やっぱりこの作品の植木等さんが一番ハツラツとしていて好きです。

いいですね〜!
どんな楽曲がお好きですか?

「だまって俺についてこい」と、ちょっとマニアな楽曲だと「遺憾に存じます」が好きです。青島幸男さんが作詞をされていて、荻原哲晶さんが作曲されているんですけど、そのコンビが大好きです。

そのコンビのどんなところが好きなんですか?

気心が知れたトリオというか、楽に作っているんですけど、それが聴いていてスカッとするんです。

気になるグッズの入手方法

さきほどご紹介いただいたお部屋のグッズたちは簡単に手に入らないものばかりだと思うのですが、いったいどちらで入手されるのでしょうか?

ポスターに関しては状態のいいものはどうしても出てこなかったりするから、Yahoo!オークションで買っちゃうけど、大体は骨董市です。

なるべく自分で、人から買うようにしています。欲しいもの探して、なかったら骨董市の人に「見つかったらお願いします」って言ってます。
見つかんない時は気長に待っていますし、だいたい同じところで買ってます。

気長に待つのも昭和っぽいですね!
骨董市はどんな雰囲気なのでしょうか?

各所から骨董市の業者が集まってきて、それらが一同に介して物を売っているんですよ。それは定期的に仙台市内などで開催されているから、別に遠出して買いに行ったりはしないです。

今まででいちばん入手するのに苦労した物はありますか?

貴重度の高い買い物だったらやっぱり小判金貨かな。それは一枚最低15万。
それに小判は二枚目も買って、記念金貨は最低10万円で買って・・・そういう点でやっぱり金銭面でも高い買い物でした。それでもちゃんと鑑定書もついて、本物なので、満足です。

恐ろしい金額ですね・・・。なぜ、そんなに高額なのでしょうか?

小判は金属的な価値よりも、骨董的な価値の方があって、知名度も高い分、値段も張るんです。
記念金貨っていうのは、昭和になってからは純金で、今は1gいくらって値段が決まっていて、金属的な価値が大きくなるんです。

それはどうやって入手するのですか?

それは、日本貨幣協同組合っていうところが仙台のデパートにあって、政府のお墨付きみたいなところがあるんです。そこはちゃんと鑑定書を出してくれるので、本物の小判が買えます。

そんなところが仙台にもあったのですね。
金額的にだけでなく、物理的に貴重なものはなんでしょうか?

物理的にはクレイジーキャッツのポスターですね。
状態も良し悪しがあるから、それでやっぱり苦労してるかなと思います。本当に状態がいいのはなかなか出てこないので。

大内さんのツイッターより参照

要するに昔の映画館に貼られていたものってことですよね。そもそも映画が少なかったのも影響しているのでしょうか?

それもそうだし、当時ポスターは映画が終わったら処分するから「欲しい」って言ったらもらえていたのだろうけど、それをちゃんと綺麗に保存している人は相当少なかったんだと思います。

確かに、折り目もない状態で保存するっていうのは、相当マニアな方だったのでしょうね。
こういったグッズの収集には、だいたい月にどのくらいお金をかけていますか?

3万〜4万位をかけてますね。欲しいものが骨董屋に入ればそれが高かったり安かったりするので、幅がありますが、多い時だと年に30万くらい使っています

大内さんから平成生まれ昭和育ちへ

大内さんは周りで同じ趣味の人っていらっしゃいますか?

いないですね。

たとえば煙たがられたりとか・・・寂しい思いをされることはありませんでしたか?

いやー、ないない(笑)
先生たちも昭和生まれの先生がかなりいたし、友達の前で「スーダラ節」をやったらウケちゃってね。みんな腹を抱えて笑っていて、「こいつ面白いから使ってやろう」ってうまく使われていました。おかげで、僕は「無責任」って呼ばれていましたよ。

無責任!(笑)植木等さんの映画をみんなに広めていたんですね。

でも、好きで「無責任」って言われているから楽しかったです。

昭和の文化が好きで苦労したことはありますか?

特にないけど、強いて言えばモテないことですね。

なるほど・・・・これは平成生まれの昭和好きの永遠の課題かも知れません。
反対に、昭和の文化が好きでよかったことはありますか?

骨董屋さんのおじさんに自然と話しやすかったり、親しんでもらえたりすることです。ちょうど、植木等が活躍した世代が骨董屋さんの方々に多いので、感心されることが嬉しいです。

「寂しくない」というのは、世代を超えて、自分の「好き」を話せる人がいるのも関係しているのかも知れませんね。

同世代で昭和の文化や音楽が好きな人は近頃多くいますし、きっとこの記事を見てくれる方の中には「平成生まれ昭和育ち」がたくさんいると思います。
その方々にもし伝えたいことがあれば、ひとことお願いします。

やれるところまでやるのが一番いいと思います。今の同世代は話が合わなくてもそんなの関係ないです。
それが楽しいのであれば、徹底的に楽しむのが一番いいと思う。嫌になったら嫌になったでその時は仕方ないんだから、やる時はとことん楽しんだ方がいいと思います。

素晴らしいですね。まさにその心意気が表しているのが、このお部屋ですね!

最後の質問です。大内さんの思う昭和の魅力は何でしょうか?

難しいですね。でもやっぱり令和の現代に比べてみると、昭和は敗戦から立ち上がって、底抜けに明るい時代ですよね。そして、日本が一番輝いていた時代だったんじゃないかなと思います。

「今日はダメだったけど明日はなんとかなるよ。」とみんな前向きだったと思います。

それが僕には明るく見えて、そういった心の余裕を自分も欲しいですし、戦争で何もなかった焼け野原から復興した底力を感じて、当時の人に負けないように頑張ろうと勇気をもらえるのが昭和の魅力だと思います。

大内さんは昭和から生きる教訓を得ているのですね。ある意味、昭和がなければ、今の日本もないと思います。そういった歴史的な部分まで探究されされているのは、本当に素晴らしいですね。本日はありがとうございました!

ありがとうございました!


大内さんは自分の「好き」を貫き、自分の信じた感覚を信じて好きなことをし続けているうちに、あんなに貴重なグッズが並ぶ、(もはや当時以上に)完成された「昭和部屋」が出来あがったのですね。

自分の好きなことに誇りを持って生きている人は、いくつだろうと、どんな趣味であろうと、輝いて見えますね。

大内さん、この度はインタビューに答えていただき、本当にありがとうございました!

大内さんのTwitter:精鋭古澤憲吾 (@kaitoouchi1997) / Twitter

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本記事のように、昭和ポップス倶楽部では定期的に「平成生まれ昭和育ち」へのインタビューを企画しています。コミュニティメンバーやその内外の方に、どのようにして昭和ポップスや昭和カルチャーを好きになったのか?を訊いていく予定ですので、今後もお楽しみに。

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