昭和ポップス倶楽部交流会【テーマ:昭和ポップス倶楽部的9の音粋〜昭和ポップスをJ-POPにしてみた!Vol.3〈後編〉〜】

2022年7月9日、「平成生まれによる昭和ポップス倶楽部」の交流会をオンラインにて開催しました。今回のテーマは「昭和ポップス倶楽部的9の音粋」!……といえば、プレゼン常連の雨玉さんによる連続企画ということはご存じの方も多いことでしょう。これまで「昭和ポップスをJ-POPにしてみた!」というテーマにて、様々な切り口でJ-POPにつながる昭和ポップスを紹介してきてくれました。今回は初の前後編となり、前編ではあえてテーマを明かさないという異例のプレゼンをやってくれた雨玉さん。後編では、前編で散らばった伏線がどう回収されていくのか?というところに注目しつつ、交流会を楽しみました。

レイニー雨玉さんによる過去のプレゼン

昭和ポップス倶楽部的9の音粋〜昭和ポップスをJ-POPにしてみた!Vol.1〜
昭和ポップス倶楽部的9の音粋〜昭和ポップスをJ-POPにしてみた!Vol.2〜
昭和ポップス倶楽部的9の音粋〜昭和ポップスをJ-POPにしてみた!Vol.3〈前編〉〜

テーマ:昭和ポップス倶楽部的9の音粋〜昭和ポップスをJ-POPにしてみた!Vol.3〈前編〉〜

さて、それではいつもどおり「9の音粋」のジングルを聴きながら、早速 ON AIR!

まずは、前編でも紹介された鈴木慶一(ムーンライダーズ)がサウンドを手掛け、糸井重里さんが企画・監修を手掛けたゲーム、「MOTHER」のオープニングからスタートです。

「MOTHER」は今年5月に行われた交流会「それが世界とつながる日 ~昭和(+ポケモン)のゲーム音楽入門~」(プレゼンター:しょうぐんさん)でも言及されている国産RPGの名作です。

ゲームと「本日のメインのユニット」と昭和ポップスを結ぶバンドとして挙げられるのが、こちらのバンド。

ノーナ・リーブスはインディーズ時代に音楽ディレクターの渡辺忠孝さん(作曲家・筒美京平さんの弟)と出会い、ワーナーからメジャーデビュー。ボーカルを務める西寺郷太さんは、当時のことを綾小路翔さんとのインタビューでこのように語っています。

西寺 「プロデューサーなんて絶対に付けないぞ!」って(笑)。結局、メジャー3年目に契約更新の時期が訪れて、このままではヤバいということになったんです。ちょうどその頃、忠孝さんが「兄がノーナの『STOP ME』を聴いて、『この子たちは欲がないねえ』って言ってたよ」って話してくれたことがあって。その言葉がすごく気になったんで忠孝さんにお願いして、どういう意味かもう少し具体的に話を聞いてきてもらったんですよ。そしたら「曲自体はすごくいいんだけど、AメロもBメロもサビも平均的によすぎる」と言われて。つまり「ここがサビです!」というのがわかりづらいと。メリハリをつけろ、と。

綾小路 なるほど。

西寺 「STOP ME」はデイリーヤマザキのCMソングに使われてたんですけど、放送を確認したらCMでは自分が思うサビじゃなくてオープニングの部分が使われていたんですよ。当時「あれ?」と思って。京平さんがおっしゃっていたのって、たぶん、そういうことだったんでしょうね。そこで、「次の曲はぜひ筒美京平さんにプロデュースをお願いできないですか?」って忠孝さんにダメ元でお願いしたんです。それが1999年の秋。今思えば、あのタイミングしかなかったんですよね。1年後くらいに渡辺さんがノーナのディレクターから外れてしまったので。

西寺郷太&綾小路 翔、敬愛する作曲家・筒美京平を語る~Romanticが今も止まらない~(前編) | 「西寺郷太のPOP FOCUS」番外編「歩津府富王火須」 – 音楽ナタリー

と、いうことで2曲目は筒美京平さんがサウンドプロデュースを務めたこちらの曲!

このLOVE TOGETERですが、ゲーム原作のアニメ「パラッパラッパー」のオープニングでもありました。

元祖リズムアクションゲームであり、世界で初めて音楽ゲームで成功を収めた作品である「パラッパラッパー」は、「音ゲーの始祖」とも呼ばれています。

そしてこのゲームのプロデューサー・松浦雅也さんこそが今回の中心人物!前編から続く「昭和ポップスをJ-POPにしてみた!Vol.3」のテーマは、この松浦さんがいた伝説のユニットPSY・S(サイズ)です。

伝説のユニット「PSY・S」とは?

「Hoooooooooooooooooooooooooooooo」「サイズと繋がりが!」「サイズ!!!ほおお~~」など、前編から焦らされまくったメンバーたちは正解発表に沸き立ちます。とはいえ「PSY・Sってユニット名は聞き覚えがあるような……」などの反応もあり知名度もまちまちなようですが、一体どんなユニットなのでしょうか?まずはPSY・Sのメンバーについて。

「コンテスト荒らし」の異名を持つ表現力豊かなボーカルのCHAKAさんと、好奇心旺盛なサウンドクリエイターの松浦雅也さんによるユニットが、PSY・Sです。この二人を引き寄せたのは松浦さんの高校の先輩であるパーカッショニストの中村岳さん。CHAKAさんとは音楽グループ「Spangle」で共に活動していました。ある時、この中村さんからCHAKAさんのもとに「松浦君がスタジオで自分の作品を作りたいんだけど、歌を歌ってくれる人を探している」という連絡があったのが出会いのきっかけだとか。

PSY・Sの前身である「プレイテックス」として活動していた際に、楽曲が収録されたテープがCBSソニーの目に止まり、デビューに至ります。ということでプレイテックスの楽曲を一曲!

PSY・Sの歴史

そして記念ずべきデビュー曲がこちら「Teenage」。PVがあります!

  • Teenage/PSY・S

1985年の作品ですが、なかなか変わったプロモーションビデオですね。変わった映像をつくるといえば……?実は、前編に出てきたこちらの方が映像を手掛けているのです。

そう、映像作家の中野裕之さん!中野さんは、GLAY「誘惑」、DREAMS COME TRUE「何度でも」のPVも手掛けていましたね。

さて、このデビューシングル「Teenage」の発売と同時に、ファーストアルバムとなる「Different View」が発売になります。このアルバムは松浦さんが全ての作曲・編曲を手掛けていますが、作詞はCHAKA(安則まみ)さん、それから前編で紹介したハルメンズのボーカル・佐伯健三さんと、もう一人高橋修さんという方が手掛けています。

この高橋修さんは作詞家ではなく、ゲルニカ太田螢一さんと「パノラマアワー」という美術グループを結成していた方。とはいえこの高橋修さんはハルメンズなど千葉出身のアーティストを中心に作詞も手掛けており、ポータブル・ロックにも提供していました。この辺で一気に前編の伏線回収!怖いくらいにつながり合っています。

さて、ここで2ndアルバム「PIC-NIC」からの一曲。

SEIKOのCMにも使用されていました。

続いて1987年に発売された3rdアルバム「Mint-Electric」(タイトルチューン)です。

  • 電気とミント/PSY・S

この「電気とミント」の作詞家は、松尾由紀夫さん。この方、HOUND DOG「ff」、伊藤銀次「白い恋人たち」等の作詞も手掛けています。PSY・Sにとっては佐伯健三さんと並んで重要な作詞家であり、PSY・Sの代表曲となった「Angel Night〜天使のいる場所〜」の作詞も手掛けています。こちらはアニメ「シティハンター2」の初期のオープニングとして起用されました。

松浦雅也さんは楽曲提供を始めとしたソロワークでも活躍されています。その中には作曲:松浦雅也、作詞:松尾由紀夫という曲も!その提供曲が「瞳はイノセント」です。

  • 瞳はイノセント/桜井幸子

桜井幸子さんはテレビドラマ「高校教師」にてヒロイン役を演じ、一躍人気女優となった方。

さらに松浦さん、早くからゲーム音楽でも活躍。1989年発売のファミコン用ゲーム「コズミックイプシロン」のBGMでこの曲が使われていました。

  • Parachute Limit 〜パラシュートの時間〜/PSY・S

同じく1989年、松浦雅也さんは伊丹十三製作・総指揮、黒沢清監督の映画「スウィートホーム」の音楽担当に抜擢されてます。「スウィートホーム」は同年カプコンでファミコンゲームともなり、ゲームの制作にかかわったメンバーがのちに「バイオハザード」の制作にかかわるという、ゲーム界としても重要な作品になりました。

この映画「スウィートホーム」には伊丹十三さんや奥様の宮本信子さん、古舘伊知郎さん、山城新伍さん、そしてREBECCAのNOKKOさんも出演していました!

そしてNOKKOさんとPSY・Sがかかわる作品がもう一つ。
吉川晃司さんがキャラクターのモデルとなった漫画作品で、バンド漫画の金字塔として名高い上條敦士さんの「TO-Y」のOVA(オリジナルビデオアニメ)の音楽でした。

このOVA「TO-Y」のヒロイン「山田二矢」役の声優がNOKKOさんでした。レイニー雨玉さんによると、NOKKOさんと言われなければわからないほどの演技力なのだとか。
このOVA「TO-Y」で主人公であるトーイが所属していたバンドのイメージソングが、PSY・S6枚目のシングル「Lemonの勇気」でした。

  • Lemonの勇気/PSY・S

そして主人公・トーイのライバル的キャラクターであった哀川陽司のイメージソングは、ギタリスト・鈴木賢司さんによる「UPTOWN TRAFFIC」という曲でした。

鈴木賢司さんは現在世界的なギタリストですが、若き日はPSY・Sのアルバムにも参加していました。その後鈴木さんは、1998年からイギリスのバンド・Simply Redのギタリストとして解散まで参加しています。前編にてSimply Red「STARS」が紹介された際に「日本人メンバーがいる」というのがヒントだったとのことですが、ここにつながっていたわけですね!

さて、ここでまた前編の話につながります。前編ではMio Fou「ゴッホの糸杉」、手嶌葵「時の歌」、ジューシーフルーツ「そんなヒロシに騙されて」、バービーボーイズ「泣いたままで listen to me」が紹介されていました。

これらの楽曲に関係するメンバーが、実はPSY・Sのライブのサポートメンバーやレコーディングにも参加していたのです。PSY・Sというと打ち込みサウンドに目が行きがちですが、ライブではバンドサウンド全開なのだとか!

さて、PSY・Sの歴史に話を戻していきます。5thアルバム「アトラス」(1989年)と同時発売でシングルカットされたのが「ファジイな痛み」です。

  • ファジイな痛み/PSY・S

「ファジイな痛み」のカップリングは「STAMP」という楽曲で、こちらは1988年に始まった「Just Pop Up」という音楽番組のエンディングに使われていました。こちらの番組は3年間続きますが、各年度のエンディングはすべてPSY・Sの楽曲が使われています。

90年代のPSY・Sとその周辺

ここからは90年代の楽曲!6thアルバム「SIGNAL」より「風の鏡」を聞いていきましょう。

  • 風の鏡/PSY・S

1990年からのPSY・Sはというと、「SIGNAL」ではフェアライトCMI(シンセサイザー)の使用を止め生演奏をアナログ録音することに徹底的にこだわって制作。その次のアルバム『HOLIDAY』ではミュージシャン各人がDATで自宅録音した音素材を使うスタジオレスレコーディングに挑戦するなど、毎回制作手法を大幅に変化させる作風が特徴となっていきます。

さて「風の鏡」の作曲はもちろん松浦雅也さんですが、作詞はCHAKAさんと神沢礼江さんの共作。神沢礼江さんはイラストレーターでありながら、コンテストで賞を取ったことから90年代まで作詞家としても活動しており、4thのアルバム「Non-Fiction」からPSY・Sに関わっていました。

この神沢礼江さんこそが、前編で紹介されたTM NETWORK「Como’n Lets dance」、横山輝一「Rainy day」、谷村有美「21世紀の恋人」、松岡英明「Young Pirates」の作詞をしている方だったのです。ここでもごっそり伏線回収。

さて、松岡英明さんはNHK総合で日曜18時枠に位置していた若者向け音楽番組「Just Pop Up」の初代MCでもありました。この番組は『ステージ101』→『レッツゴーヤング』→『ヤングスタジオ101』の後継番組として、これまでのアイドル路線番組からロックポップス路線の番組として生まれ変わった番組でした。

続いて、1991年に発売された7thアルバム「HOLIDAY」に収録されており、17枚目のシングルでもある「あさ~from day to day」、そして松浦雅也さんが裕木奈江さんに提供した「月夜のドルフィン」を鑑賞。

「月夜のドルフィン」の作詞は松本隆さん。松本隆さんはPSY・Sのラストシングル「be with YOU」でも作詞を手掛けています。

  • be with YOU/PSY・S

もうひとつ紹介しておきたいアルバムが、松浦雅也さんがサウンドストリートで制作していたマンスリーソングや既発曲のリメイクのアルバム「PSY・S presents Collection」。ここからシングルカットされた「サイレント・ソング」を鑑賞しました。こちらはアナログシングルですが、B面がない片面シングル(400円)として発売されています。

この曲ですが、作詞はCHAKAさん、編曲は松浦雅也さん。作曲したのは、バービーボーイズのイマサこといまみちともたかさんでした。

松浦さんがバービーボーイズのキーボードサポートに入ったり、CHAKAさんがゲストで出たり、逆にPSY・Sのライブにイマサさんが来たりとバービーボーイズとPSY・Sは繋がりは強いものでした。

この「サイレント・ソング」はイマサさんがアレンジをして、バービーボーイズの4枚目のアルバム「listen!BarbeeBoys4!」にも収録されています。

さて、PSY・Sはラストシングル「be with you」を1994年11月に発売し、ラストアルバム「EMOTIONAL ENGINE」を1994年12月に発売。

1995年1月下旬から2月初旬までのライブツアー「LIVE PSY・S EMOTIONAL ENGINE TOUR」終了後、PSY・Sは活動を休止。1年半弱目立った動きもないまま、1996年6月に雑誌「PC music」の松浦さんの連載ページで解散を発表することになりました。

PSY・S 解散に寄せて

松浦さんの連載ページにはこのように書かれています。

松浦雅也

実は長年親しんでいただきましたサイズなんですが、残念ながら正式に解散することにあいなりました。 えっ?、やっぱり、等色々ご意見はあると思いますが、約10年間の活動を見守ってくださった皆さんに 心から感謝します、ありがとう。

で、こういう場合、理由を述べなければならないわけですが、そうですね…一言でいうと「直感的解散」かな。 それ以上説明できそうなことはありません。とにかくもう終わらせなければならないと、とにかく思ってしまったわけです。 この決心はもう数年前に遡ります。しかし、諸事情からなかなかすぐには実行には移せませんでした。 まして、「直感的解散」願望なので、それだけの説明じゃ周囲の理解が得られないのも当然で、 今から思うと正直、気持的にはスッキリしない日々でした。ちょっと悲観的になったり、ちょっと活動との距離を 置きたくなったりもしました。

でも、悪いことばかりではなくて。例えば、そんな中でも「Emotional Engine」というアルバムを作れたこと。 音楽にのぞむとき気持的にちょっとネガティブな部分があっても、そんな気持ちで作った音楽に結構リアルタイムで 励まされたりすることがあるんだ、ってわかったから。そういう意味でもこのアルバムは本当に僕の中でのサイズ音楽 の完成形に限りなく近いもので、明確な音楽的区切りになってくれたと思います。

とにかく、これからもそれぞれによろしくお願いします。

PC MUSIC

CHAKAさんはというと、このように語っています。

CHAKA

解散イコール「終り」「別れ」という風に受ける人が多いみたいだけれど、私の心にはそういう言葉が持つ寂しさはない。 全く違う環境の下、別々に育った2人が、何かの縁で出逢い、13年同じ道を歩いてきた。そしてY字路に差しかかり、 彼は一方、私はもう一方の道を選んだ。

「じゃあ又ね」「元気で」。だけど、人が生きていく道は複雑に入りくんでいるので、またいつ、どこで、ばったりでくわしてしばらく歩みを共に することがあるかもしれないし、ないかもしれない。ただ1つ、生意気だけどPSY・Sの様なグループは他にないし、 きっとこれからも現れないと思う。そんな唯一のグループのフロントとして、たくさんの人の人生にかかわることが出来て、 素直に嬉しい。これから私は1人で、だけど色んな人に支えられて、いつもの様に歌っていく。これまで応援してくれた みんなをがっかりさせない歌を歌っていくから、また応援してね。みんなホントにどうもありがとう。

じゃあ又!

PSY・S HISTORY BOOK より

また解散に際して、森雪之丞さん、楠瀬誠志郎さん、サエキけんぞうさん、奥田民生さん、KANさんほか、多くの人がメッセージを送っています。

森雪之丞

僕がPSY・Sに託せた詞はすべて、二人に出逢わなかったら、言葉としてこの世には生まれてこなかったものばかりです。
まるで実験室の研究員になったかの様なレコーディングの日々を、僕は忘れることができません。
感謝の気持ちと淋しさで胸はいっぱいです。お疲れさま、そして本当にありがとう。

奥田民生

特にチャカさんには私のデビュー当時から何かとお世話になっておりました。
ありがとうございます。これからもよろしく。
あと50kgくらい太っていただいて、日本屈指のパワフルシンガーになってください。
またね。


そんなPSY・Sの魅力は松浦さんの作る曲に加え、それを歌いこなすCHAKAさんでなければ成り立たなかったものだとレイニー雨玉さんは強く語ります。

その後のCHAKAさんは、ボーカリストとして活動しつつ、最近では先生としても活動しています。
そんなCHAKAさんさんの歌唱力・表現力の豊かさがわかる楽曲たちを鑑賞しました。

そして、お父さんも叔父もJAZZ畑の方だったCHAKAさん。2002年に「CHAKA JAZZ」というアルバムを出されます。その中で、ご自身で作詞作曲された一曲がこちら。

そしてプレゼンの最後は、レイニー雨玉さんイチオシのPSY・Sの楽曲をピックアップして流してくれました。

ここで超大作のプレゼンも終了です。
奇跡的な組み合わせで生まれたというPSY・Sというユニット。他にはないオリジナル性が、他でもないこの時代に生まれ、多くの人に影響と刺激を与えました。それは、解散にあたって送られたメッセージの数々からも感じることができます。

今回の交流会を機にPSY・Sを知ったという人も、またその魅力を知ったという人も多かったのではないでしょうか?たとえ知名度が低かろうと、それは今現在までの話であって、松原みきさんの楽曲が突然世界で大流行したように、いつ何が発掘されてバズるかもわからない現代。いずれPSY・Sももしかしたら……と夢想してしまいました。

今回はレイニー雨玉さんによるそんなPSY・Sへの熱い思いと、いかに先を歩いていたユニットだったのかを実感しました。そして前半の謎に包まれたプレゼンをもう一度答え合わせで見てみたくなる、興味深い二部構成でもありました。レイニー雨玉さん、前後編にわたるプレゼン、お疲れさまでした!

前編はこちら

最後はいつもどおり、写真撮影。

なぞの変顔・・・

雨玉さんによる今回のプレイリストも、ぜひ!

みんなの感想

今回プレゼンターを務めてくれたレイニー雨玉さんこと雨玉さんに、感想を聞いてみました!

プレゼンターをやってみての感想

雨玉

まずは時間押してしまってすみません。後半はチャットもおざなりになったりと詰め込みすぎたかなと思ってます(‘A`lll)

資料作りで大変だったこと

雨玉

今回は前回の伏線を説明しつつ、本線の説明をどう時間も含め、折り合いをつけて進めていくのかということに苦労しました。
PSY・Sの最後から2枚目のアルバムのWINDOWを紹介できなかったり、当日も曲被せで喋ったりと結構あたふたしてましたね。今回は情報量も前後編だけあって多かったですし、そもそもPSY・Sそのものについてはこの後半のみだったので調べる方向が繋がっているようで繋がってないというのがとにかく時間との戦いでした。シェアした動画リストからお分かりのように、前編の約3倍の動画本数だったのがその証拠です笑

今回のプレゼンでいちばん伝えたかったこと

雨玉

昭和ポップスというイメージがないかもしれないPSY・Sですが、これも立派な昭和ポップスというところですかね。
「昭和ポップスをJ-POPにしてみた」に一番あっているユニットなのかもしれません。
そして、プレゼンでもお伝えしましたが、松浦雅也さんのサウンドとボーカリストチャカさんの奇跡的な組み合わせを感じてほしいです。実際にPLAY TECHSからPSY・Sとしてデビューする時にボーカルオーディションもしていたようですが、みんな歌えなかったとか。
今“でも”ウケるサウンドだとは思いますが、今“やっても”ウケないと思います。85-96年に先取りしていたからこそ、そしてその時の松浦雅也さんの音への挑戦意欲と若いからこそ出せたチャカさんのあの声だったから生まれた作品の数々だったと思います。
本当に奇跡的なユニットだったと思っています。それを是非みなさんには伝えたいし、伝えてほしいです。

参加者の感想

Mさん

出てくる音楽関係者すべて伏線だらけのボリュームたっぷりの謎めいた地下茎のような前回で、今回はやっと地上を見たような感じ。PSY・Sという花だったわけでいろんな人たちを巻き込んだムーブメントだった。わかりにくいけどあのね、140字じゃ説明できないのよね

Kさん

今日の交流会、今回はLate80s~Early90sに活動したPSY・Sについて。シティハンターの曲しか知りませんでしたが想像以上に幅の広い作風で、他の歌手の提供曲含めちゃんとした評価が必要なユニットだと再認識しました。

参加者の皆さん、ご参加ありがとうございました!そして雨玉さん、お疲れさまでした。雨玉さんによる編集後記もありますのでぜひご覧ください。

7月の催事

★交流会……7月21日(木)21〜23時@ZOOM『さぁ!今日から君もDJデビューダァ!昭和歌謡曲をDJでlet’s play!!』
イベント……7月30日(土)20〜22時@ZOOM『昭和ポップス倶楽部のオールナイトニッポン〜あなたの知らない「迷盤・珍盤」の世界〜』

詳しくは「7月の催事スケジュールのお知らせ」よりご確認ください。

イベントに際し、あなたの「名曲だと思う​​迷盤・珍盤」楽曲のアンケートも募集しています。ぜひこちらもたくさんのクレイジーな楽曲をお待ちしていますよ!
【アンケートのお願い】7月度イベント「昭和ポップス倶楽部のオールナイトニッポン」

次回の催事は7月21日(木)の交流会。プレゼンターを務めてくれる、タッピーさんから意気込みを伺いました!

タッピー

今回のプレゼンは、DJをやりたいという人のための簡単な基本操作を生で解説しつつ、リクエストのスペシャルメドレーもおこないます。ご期待ください!

DJ講座は昭和ポップス倶楽部史上初の試み!ぜひ気軽にご参加ください^^

平成生まれによる昭和ポップス倶楽部のコラムニストとして執筆中!
最近YouTubeデビューしました。

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