【イベント】第1回・昭和ポップスラボを開催!テーマは「山口百恵」

2022年1月21日、「平成生まれによる昭和ポップス倶楽部」にて月に一度のイベントを開催しました。

今回のイベントは、リアル&オンラインのハイブリッド開催!東京・高円寺にある懐メロバー「ヤングマスター」を会場に、メンバーだけでなく一般の方も招き交流を楽しみました。

「昭和ポップスラボ」スタート!

昭和ポップス好きな後追い世代が、毎回とある歌手や作家をテーマにまったりと語り合いながら深掘りをしていくトークイベントシリーズとしてスタートしたこの企画。記念すべき第1回である今回のテーマは、今年でデビューから50年を数える昭和の歌姫、山口百恵さん。昭和ポップス倶楽部代表・かなえ氏とわたくしさにーが僭越ながら登壇し、山口百恵さんの楽曲を経歴を振り返りながらその魅力に迫りました。

今回はオープンイベントとして倶楽部外のメンバーも参加可能なオープンイベント形式にしただけでなく、年齢も問わない(つまり誰でも参加できる)形での開催。つまりリアルタイムで百恵さんを見て過ごした方もいれば、あまり詳しくは知らない状態で来てくれる人まで様々でした。

そんな方々全員に楽しんでもらうため、今回はある命題を用意しました!

今回のラボの命題

山口百恵が今デビューしたら売れるのだろうか?」という問!「今デビューしたら売れるかどうか」ということを考えるには、百恵さんのどんなところに普遍性があるのか?あるいはどんなところが時代の波に乗った部分だったのか?を考えていくことが必要になります。コラムでお楽しみの方も、ぜひこちらを念頭に読んでみてください。

また、トークの合間にほかの問いも用意しています。みなさんの意見を聞きつつ、百恵さんの新たな一面を探っていきましょう!

まずは、山口百恵さんのプロフィールから。

山口百恵さんのプロフィール

  • 1959年、東京都渋谷区出身。神奈川県横須賀市育ち。
  • 1972年12月、オーディション番組『スター誕生!』で、牧葉ユミの「回転木馬」を歌い準優勝。
  • 1973年4月14日、映画『としごろ』に出演し、5月21日に同名の曲でアイドル歌手としてデビュー。74年にはNHK紅白歌合戦に出場。
  • 1979年10月20日、大阪厚生年金会館のリサイタルで三浦友和との恋人宣言を突如発表。
  • 1980年3月7日、芸能界引退発表。
  • 1980年10月5日、ファイナルコンサートを日本武道館で開催。
  • 1980年10月15日、ホリプロ20周年記念式典で、「いい日旅立ち」を歌い完全に芸能界を引退。

活動期間は7年半。たった7年半の活動ののち引退し、それから一度も公の場には出てきていませんが、今もなお高い人気を誇っているって、すごいことですね。(参考)

ではここからは、デビューから引退までの流れを楽曲とともに振り返っていきましょう。

山口百恵がデビューするまで

1972年12月、13歳の時に、オーディション番組『スター誕生!』で、牧葉ユミの「回転木馬」を歌い準優勝した百恵さん。このとき、20社から指名を受けることになります。その後歌手デビューのため、横須賀から上京。

しかし当時の評価は決して高いものではなく、作詞家の阿久悠さんは同期デビューした桜田淳子さんと比較して「インパクトは桜田淳子の比ではなく、後の百恵神話を予測させるものはほとんどなかった」と言い、のちにプロデューサーとなる酒井政利さんも「歌でうまくいかなくても時代劇の女優さんなら行けそうだな」という第一印象を抱いたとか。このときはまだ誰も百恵さんの中に眠る才能に気づいていませんでした。

1973年にデビュー

その後、1973年5月21日に同名の曲で歌手としてデビュー。しかしながらこの曲はほとんど売れず、売上は6.7万枚でした。のちに「花の中三トリオ」と呼ばれる森昌子さんのデビュー曲「せんせい」の51.4万枚、桜田淳子さんのデビュー曲「天使も夢みる」12.1万枚と比較すると頼りない印象にです。

プロデューサーの酒井政利さんはこのことで腹を決め、「もっとストレートに過激なもので行こう」と決心したそう。そうして2枚目のシングルから大きく路線が変わっていきました。

「青い性路線」と呼ばれたこの楽曲群は、2枚目のシングル青い果実の出だし「あなたが望むなら私なにをされてもいいわ」という衝撃的な出だしとともにスタートしました。

さて、ここで1つ目の問いです!

「青い性路線」は当時大きな衝撃を与えながらも、今百恵さんが語られるときにとりあげられるのは、圧倒的に70年代後半以降の「プレイバックPart2」「いい日旅立ち」等の大人の女性的作品のほう。百恵さんの初期を担った「青い性路線」は「こんな曲をまだ14歳の子に歌わせるなんて……」と抗議も来たといいますが、そこまで過激な路線に舵を切ったことは、果たして山口百恵さんの歌手人生にとって必要なことだったのでしょうか?

問1:「青い性路線」は必要だったのだろうか?

参加者の方々に聞いてみたところ、多くの人が「必要だった」と答えていました。

いきなり15歳くらいのときに「プレイバックPart2」や「イミテイション・ゴールド」みたいな路線をやっても歌えないんじゃないかと思う。ちょっと反発があるような楽曲で無理にでも一皮むけたからこそ、その後かっこいい女性像を演じられたのかなと思います。

一方、「必要なかったのでは?」と答えた人はこのような理由を挙げてくれました。

70年代後半の百恵さんを最初から出してもよかったのかなって。それを引き出すまでには「青い性路線」も必要だったのかもしれないけれど……難しいかもしれないけれど、最初から出していればどうなっていたのかな、とは思いますね。

かなえ氏も「必要派」

かなえ氏

青い性路線を経てできたものだと思います。全体を通してみると一つのストーリーになっているなというか。ある意味等身大だなと思うんですよ。どんどん恋愛の経験を積んでいって、皆さんがよく知る「山口百恵」が出来上がっていくと思うから、青い性路線の時代も全体のストーリーの説得力のためには必要かなって。

どちらの意見にしろ、「70年代後半の百恵さんこそが黄金期」という点では共通していました。初期作品のファンはなかなかレアなのかもしれません。初期作品が好きだから必要不可欠!という方の意見の聞いてみたいところです。ぜひコメントにも意見をお寄せください。

さにーの推し曲「夏ひらく青春」

そんな初期作品の中から、さにー的なイチオシ楽曲「夏ひらく青春」をお届け。

さにー

おそらく最後の「青い性路線」の楽曲ではないかと思います。メロディー的な古さはしっかりと感じるものの、一度耳に入ると離れない中毒性がありますね。そしてなにより、百恵さんの歌唱力の向上が目覚ましい一曲で、番組で披露している動画があるのですが、まるでいちごのような赤地に白い水玉のフリフリワンピースを着用しています。このころになると百恵さんは顔もかなり大人に近づいてきており、衣装だけがまだ百恵さんの成長に追いついていないようなチグハグ感を楽しむことができるので、ぜひ観てみてください。

山口百恵の分岐点〜三浦友和との出会い〜

1974年、映画「伊豆の踊り子」で百恵さんは主演を務めました。このとき、のちの夫となる三浦友和さんと初共演。三浦友和さんとの共演は映画だけで12回、ドラマで4回に及んだとか。もはや公認カップルですね。

山口百恵 絶頂期〜阿木燿子・宇崎竜童コンビとの出会い〜

そして百恵さんの風向きが変わったのは1976年。作詞家・阿木燿子、作曲家・宇崎竜童との出会いでした。

みなさんが言っていた「70年代後半」の神がかり的活躍は、この曲「横須賀ストーリー」から始まったと言ってよいでしょう。そしてこの後は「シン・山口百恵」の如く、阿木燿子・宇崎竜童夫妻が作った楽曲にて次々とヒットを打ち立てていきます。
ちなみに「プレイバックPart2」は1978年の紅白歌合戦で紅組のトリとして歌いました。百恵さんは当時まだ19歳で最年少記録となり、この記録は後にも先にもまだ破られていません。

阿木燿子・宇崎竜童だけじゃない!百恵の真骨頂!

しかしながら、百恵さんの作品は阿木燿子・宇崎竜童夫妻だけで語ることはできません。百恵さんの作品の中でもすこし違った光を放つ楽曲がこちら!

それがさだまさしさんが作詞・作曲をした秋桜。それまでに百恵さん楽曲で取り上げたことのなかった「結婚」をテーマに歌い上げた珠玉の一曲です。

ここで、本日2つ目の問いです!

問2:「秋桜」の主人公は結婚したかったか?したくなかったのか?

どうやら「秋桜」の主人公の結婚に向かう感情は人によって解釈が異なるのだとか。「結婚自体はしたいけれど、母を思うとつらい」という「結婚自体はしたい派」と、「実は(政略結婚等)何かしらの理由によって仕方なく結婚に向かうことになったつらさ」を歌う「結婚したくなかった派」の2つに大きくは分かれるそうなのです。

参加者の方々の割合は「したかった派」が6、「したくなかった派」が4くらいの割合でしたが、ほぼ割れるような形に。

(したかった派)
本当は相手のことを愛していて、結婚したいけど家族のことを考えると複雑……という気持ちなのでは。ドラえもんの映画の「のび太の結婚前夜」なんかをイメージしました。

(したくなかった派)
「庭先でひとつ咳をする」という部分の歌詞が印象的。曲調も暗いし、暗い曲なのかなと思いました。

残される母親(おそらく片親)への心配というか心残りみたいな感じは当時の百恵ちゃんの家庭環境も加味して描いたんじゃないかなぁ。

皆さんはどう思いますか?あらためて参加者の方々の意見を聞いてみると、同じ曲でも着眼点や受け取り方が違うことがわかりますね。

かなえ氏の推し曲!「GET FREE」

ここで、この時期に発表した楽曲の中からかなえ氏の推し曲を紹介。アルバム「L.A.Blue」に収録のGET FREEです!

かなえ氏

ロサンゼルスで収録したアルバム。とにかくサウンドが洗練されていてかっこよく、ジャケットもアイドルのアルバムとは思えないほどオシャレです。曲全体としてもアイドルではなくアーティスト要素感じるAORな仕上がりになっています。このアルバムは必聴です。

山口百恵 引退〜不死鳥(フェニックス)伝説まで〜

さて、こうして徐々に山口百恵さん引退までの時が近づいてきました。1979年10月20日、大阪厚生年金会館のリサイタルで三浦友和との恋人宣言を突如発表。そして翌1980年3月7日には三浦友和との結婚と、同時に芸能界からの引退も発表しました。

さて、ここでこの日3つ目の問です。

問3:もし、山口百恵が芸能界を引退していなかったらどうなっていただろうか?

昭和のアイドルでも松田聖子さんや松本伊代さんなど、長年に渡って活躍されている方は多く存在します。キャンディーズの伊藤蘭さんも近年になって歌手活動を再開されていますね。もしこの中に百恵さんもいて、今も活動しているとしたら、いったいどんな存在になっていたんでしょうか?

活動を続けていたら活躍はしていたと思うけど、今みたいな伝説にはなってないんじゃないかなって思います。
もし引退してなかったらもう少し違う世界、例えば山下達郎に曲を書いてもらうとか、桑田佳祐に書いてもらうとか。そういう音楽性ももしかしたら見れたかもしれない。

あるいは、女優になっていたかもしれない。朝ドラのヒロインの母親役とかやってそう(笑)。

かなえ氏

たしかに私も、女優になってたんじゃないのかなと思いました。百恵さんは演技もうまいし、ずっとツッパリ路線を続けるのも難しいのかなと思うと、女優になってたのかなって。

そして「さよならの向う側」を発売

その後も「乙女座宮」「謝肉祭」「ロックンロール・ウィドウ」など様々なテイストの楽曲を発表し、引退目前の1980年8月21日にはこの楽曲をリリースします。

1980年に「さよならの向う側」を発表。ラストコンサートではこの曲を歌ってステージにマイクを置き、向こう側へと旅立っていってしまいました。37.6万枚を売り上げた名作です。

山口百恵さんの自叙伝「蒼い時」

かなえ氏

百恵さんというひとりの人間の人生を追うのであれば、この本もぜひ!

大ベストセラーを記録した著書。百恵さんがデビューしたときのこと、初潮を迎えたときのこと、恋愛に対しての見かたなどどのように物事を捉えていたのかを知ることができます。

命題:山口百恵が今デビューしたら売れるのだろうか?

さまざまな問と共に百恵さんについて考えてきましたが、最後に考えるのはこちら。今回、最初に提示したこの命題について考えてみましょう。

かなえ氏・さにーを含め、みなさんの意見をご紹介します。

山口百恵さんを「時代と寝た女」と表した言葉があるのですが、そのとおりだと思っていて。「いい日旅立ち」のような情緒ある曲を歌う百恵さんのような人が、今の時代にデビューしてどんな曲を歌うのかちょっと想像つかないなって。やはりその時代に生まれたからこそ、スーパースターになり得たんじゃないかなと思います。

私も売れるかっていうと、ちょっと違うかな、と思っちゃいますね。やはり、青い性路線の歌詞とかは今は出せないだろうなって思います。
歌手というよりは、一部界隈で影響力を放つインフルエンサー的な存在になってるかもしれないですね。ビジュアルは今だと絶対ウケると思います!三白眼が今流行ってるので。

売れると思います!歌唱力がある方が評価される流れが最近来ているので。ビジュアルも今に通じるし。今だからこそ、いいんじゃないかなって思います。

欅坂46だった平手友梨奈も三白眼なんですよね。あの子が出てきた時によく「百恵さんみたい」って言われていた。百恵さんはグループアイドルに入っても絶対光るし、センターになって売れると思います。

今は個々で音楽を聴く時代だから、一部の人には刺さるかもしれないけれど、J-POPとして大きく売れるのは難しいんじゃないかなって思います。

色んな意見を聞くことができて本当に良かったです!オンラインでたくさんコメントしてくださった方もありがとうございました。最後は写真撮影!

終了後もみんなで楽しく飲みました

その後も残る人は残って音楽談義やらカラオケやらで楽しみました。今回は初の世代関係なしのオープンなリアルイベントだったことで、異世代交流ができたのもよかったですね。遠くから来てくれたメンバーもいてとても嬉しかったです!

スライド資料が突如見れなくなったり、実は始まる前もレコードが鳴らなくなったり(なんとマスターが針を買いに行ってくれた)、とハプニングもありましたが、初の「昭和ポップスラボ」をこうして無事終えることができてよかったです。次はどんなテーマでやりたいかぜひご意見も教えて下さいね。みなさま、どうもありがとうございました!

みんなの感想

共感できること、新たな視点に驚かされることがたくさんあり、とても聞いていて楽しかったです🙌
山口百恵さんの魅力を再確認できました!

昨日は山口百恵について深く読み解くイベントに参加してきた 百恵が時代関係なしに日本を代表する歌姫であることは今や常識だが、シングルの歴史やリリース時の秘話、それらに対するパネラーさん方の見解を聞いて、百恵の歌手人生って1つの物語みたいやなと感じた🤔

今回のイベントの感想は#昭和ポップスラボ、これまでの催事の感想は#平成生まれによる昭和ポップス倶楽部にて。

1月・2月の催事

1月の催事、残すは今週行われる交流会のみ。予定をチェックです!

1月の交流会

★1月27日(金)21:00~23:00@オンライン
テーマ:さぁ!今日から君もDJデビューダァ!昭和歌謡曲をDJでlet’splay!パート

プレゼンター:タッピーさん

1月2回目の交流会は、タッピーさんによるDJ企画第3弾!タッピーさんから意気込みを伺っています。↓

タッピー

第1弾、第2弾では曲のつなぎ方などを取り上げてきましたが、今回の第3弾は「神セットリスト」をどうやって作っていくのかをより掘り下げて紹介していきます。
毎回恒例のリクエストコーナーもあります。ぜひたくさんのリクエストをお待ちしています!

▲過去のタッピーさんのDJプレゼンのレポも復習しておくと、理解度が高まること間違いなし!

交流会

2月4日(土)21:00~23:00@オンラインZOOM
テーマ:「日本の思春期・60年代シリーズ Vol.2/4 〜テケテケが みなぎる若き 音力(グループ・サウンズ 応用編)〜」
プレゼンター:こうたさん

★2月12日(日)21:00~23:00@オンラインZOOM
テーマ:「昭和ポップス倶楽部的9の音粋〜昭和ポップスをJ-POPにしてみた!〜vol.6」
プレゼンター:雨玉さん

イベント

2月25日(土)20:00~23:00@オンラインZOOM
企画進行中!決まり次第、Slackとホームページでお知らせします。

平成生まれによる昭和ポップス倶楽部のコラムニストとして執筆中!
最近YouTubeデビューしました。

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