2023年6月24日、「平成生まれによる昭和ポップス倶楽部」にてオープンイベントを開催しました。
今回のイベントは、1月に開催した「昭和ポップスラボ」の第2弾!会場&オンラインのハイブリッド開催ということで、東京・高円寺にある懐メロバー「ヤングマスター」を会場に、広くいろんな方にご参加いただき、意見交換を楽しみました。
▼前回のイベントのようす
【イベント】第1回・昭和ポップスラボを開催!テーマは「山口百恵」
昭和ポップスラボ スタート!!
「昭和ポップスラボ」とは、毎回とある歌手や作家をテーマにまったりと語り合いながら深掘りをしていくトークイベントシリーズ。MCはかなえ氏とさにーが務めます。
第2弾となる今回のテーマとして取り上げた歌手は、中森明菜さん。デビュー40周年を迎えた昨年にはTwitterを開設、今年に入ってからもライブ映像が劇場で上映されるなど、 表立った活動は無いにもかかわらず、その一挙手一投足が話題に上がる稀有な方です。
イベントでは中森明菜さんの経歴をおさらいしつつ、レコードでその音源を聴きながら、前回と同様にあるひとつの「命題」に向かって、今回は話を進めていきます。その命題が、こちら。
2017年を最後に、新曲の発表や表立った活動が途絶えてしまった明菜さん。しかしその間に昭和ポップスブーム、シティポップブーム、サブスク配信の浸透など音楽大きな環境の変化もあり、年々明菜さんへの期待は大きくなっている状況。そんな中、「もし今明菜さんが新しい楽曲をリリースするとしたらどんな曲を聴きたいか?」を考えることが、今回のイベントの命題です。そしてこの他にも、各所に皆さんへの問いかけを用意しています。まずは明菜さんの経歴を振り返っていきましょう!
オーディションに挑戦、そしてデビュー
中森明菜さんは東京都大田区出身の1965年生まれ。6人きょうだい(2男4女)の5番目として生まれます。美空ひばりが好きでかつて歌手を目指していた母・千恵子さんがきっかけで、歌を歌うようになったそう。
転機となったのは1981年に出場したオーディション番組の『スター誕生!』。テレビ予選に2回出場するも不合格となってしまいますが、3度目の挑戦で山口百恵さんの「夢先案内人」を歌い、番組史上最高得点となる392点で合格。歌手への切符を掴むこととなります。
そして1982年5月1日に「スローモーション」でデビュー。このとき明菜さんは16歳でした。
【考えてみよう】デビュー候補曲、あなたならどれを選ぶ?
ここで早速一つ目の問いへ。実はデビュー曲は「スローモーション」のほかに3曲、合計4曲の候補があったのだそう。
デビュー候補曲
この4曲をワンコーラスずつ聴いてみて、もし自分がプロデューサーだったらどれをデビュー曲に選ぶか?を会場の皆さんに聞いてみました。
「あなたのポートレート」も悪くはない。佳作ではある。ただ、スローモーションと比べるとパンチがない。
初めて聞いたんですが、「銀河伝説」のようなアップテンポの曲のほうが売れそうだなって思いました。
やはり「スローモーション」。曲の最後、「今あなたとともに〜」でピアノの調べで終わるセンスが素晴らしい。
あなたのポートレートは少し古風なおとなしめの女の子の印象があります。イントロのインパクトの重要性を考えると「銀河伝説」はとても良いなと思います。
色んな意見が集まりましたが、最終的にはこのような結果になりました!
- スローモーション(10人)
- 銀河伝説(5人)
- あなたのポートレート(2人)
- Tシャツ・サンセット(1人)
「スローモーション」が強いのはもちろんとして、その次は「銀河伝説」が圧倒的に人気のよう。「スローモーション以外なら、銀河伝説だな」と言っている人も多かったです。もし「銀河伝説」でデビューしていたらどうなっていただろうか?と考えてみるのも面白いですね。
大喧嘩の末……「少女A」が大ヒット!
さて、明菜さんの来歴に話を戻します。「スローモーション」はオリコン最高30位と、絶好調とは言えないスタートとなった明菜さん。ターニングポイントとなったのは2枚目のシングル。ディレクターの島田雄三さんは、「普通のことを書かないでほしい」という発注条件のもと、従来の歌謡曲の枠外で曲を作りたいと考えていたところに、まだ駆け出しの作詞家だった売野さんの書いた歌詞が目に留まります。それが「少女A」でした。
しかしながら歌詞を見て明菜さんは猛反発。ギリギリまで「絶対に歌わない!!」と言い張り、島田さんと激しい口論があったそう。
結局レコーディング直前に明菜さんが折れ、リリースされたところ40万枚のヒットに!「中森明菜」の名を世に広く知らしめることとなりました。
【考えてみよう】中森明菜が「少女A」を出していなかったら?
さて、ここでみなさんへの問いかけです。この後、明菜さんはツッパリ路線・バラード路線と交互に楽曲をリリースしていきます。その足がかりとなった「少女A」が、もし明菜さんの主張に沿ってリリースされなかったとしたら、どうなっていたと思いますか?
「スローモーション」の次に(少女Aを飛ばして)「セカンド・ラブ」を出していたとしたら、80年代に実はいた、隠れた名シンガーみたいな感じで終わっていたんじゃないかと思います。
やっぱりこの曲が、この後どんどん上がっていくためのカンフル剤だったんじゃないかなと思います。
また、チャットではこんな意見もみられました。
- あと、この時代は「リアルな」内容の歌が若い世代には好まれたんですよ。70年代中盤までの男性から見た理想の少女とかを歌詞に織り込んだものよりは、いろんな刺激の溢れる社会の中で翻弄される少女・少年の方が「絵になる」というか。
- ご本人が嫌と思えば思うほど曲の世界観にどんどんハマって、視聴者を魅了していったんだナと思います☺
本人が望んでいたかどうかに関わらず、そのテーマが似合ってしまう方だった、ということなんですよね。いずれこの「少女A」をきっかけに、明菜さんはより大きく羽ばたいていくこととなります。
バラード路線とツッパリ路線
無事「少女A」をヒットさせた明菜さんは、その後も「セカンド・ラブ」「1 ⁄ 2の神話」「トワイライト -夕暮れ便り-」「禁区」とバラードソングとツッパリ少女ソングを交互にリリースすることで、着実な人気を獲得していきます。中でも3枚目のシングル「セカンド・ラブ」は76.6万枚の売上を記録し、現在に至るまで自身最大のヒット曲となっています。
アーティストへ進化
そして、明菜さんは「アイドル」という枠に収まらない活躍を見せていきます。彼女にとってアイドルからアーティストへの転換点になったと言われるのが、1984年リリースの「飾りじゃないのよ涙は」でした。
さにーのイチオシ楽曲!「UNSTEADY LOVE」
ここで私・さにーのイチオシ楽曲を紹介!アーティストへの転換期に出したアルバム『BITTER AND SWEET』に収録されている曲、「UNSTEADY LOVE」です。
作詞・作曲・編曲は角松敏生さん。個人的に、この曲がシングルとしてリリースされていたとしたら、明菜さんの歌手人生も変わっていたんじゃないかと思っています。というのも、明菜さんのシングルは1990年に「Dear Friend」が発売されるまで、全てマイナー調(短調)なんです。メジャー調(長調)の曲がそれまでに一曲もない。もし、「明菜さんはこんな湿度の低いカラッとした明るい失恋ソングも歌いこなせる」ということがシングルにて証明されていたら、周りからの明菜さんのイメージも変わったんじゃないかなぁと思うのです。
お客さまからは「たしかに、(この曲がシングルで出されていたとしたら)もう少し明菜さんを身近に感じられていたかもしれない」という意見もいただきました。そんな世界線も見てみたかった……
レコード大賞を受賞!
さて、こうして明菜さんはスターとしての道を歩み、1985年「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」でレコード大賞を受賞。さらに翌1986年も「DESIRE -情熱-」でレコード大賞を受賞。2年連続レコード大賞を受賞するという快挙を成し遂げます。
かなえ氏イチオシ楽曲!
ここで、かなえ氏のイチオシ楽曲もご紹介。1986年に発売されたアルバム『CRIMSON』より「OH NO, OH YES!」です。この『CRIMSON』というアルバムは海外ファンからも支持が熱い一枚で、特にこの「OH NO, OH YES!」はYouTube上でハングルの歌詞がついた音楽番組の動画が95万回を突破しているなど(2023/06/15時点)、海外(特にアジア圏)からの人気の高さが感じられる一曲です。
なぜこの曲がここまで人気なのか?という疑問については、お客さまから「シティポップで人気になっている竹内まりやの曲だから、そういう(名前が通っている)ところが大きいのではないか」というご意見をいただきました。たしかにそれは大きな理由としてありそうです!
異国情緒感がある楽曲/大人の中森明菜
80年代後半には、世界各地を舞台とした異国感あふれる楽曲を多数リリース。
大人の女性を思わせるシックな楽曲も多数発表します。「アイドル」としての面影はもはやなく、完全にアーティストへと進化し、類まれなる音楽性を発信していきました。
また、明菜さんといえばその自己プロデュース能力の高さも評価されるところ。衣装・振り付け・サウンドの細部に至るまで気を配られた全力のパフォーマンスを見せてくれたこの時期の楽曲からは、明菜さんの圧倒的なセンス・本気度の高さなどを十分にうかがい知ることができます。
【命題】もし今、中森明菜が新曲をリリースするとしたら……
さて、さまざまな問いかけと共に明菜さんについて考えてきましたが、最後に考えるのはこちら。
最初に提示したこの命題について考えてみましょう。バラード路線、ツッパリ路線、そしてアーティスト路線に進出し、シティポップを歌い、世界を飛び回り……と、あらゆるジャンルの楽曲を発表してきた中森明菜さん。いま、改めて中森明菜さんが新曲をリリースするとしたら、みなさんはどんな楽曲が聴きたいですか?
みなさんが聴きたい、明菜さんの新曲
ぶっ飛んだものが聞きたい。
明菜さんがやりたい曲をやって欲しい!
昔を懐かしむとかはしてほしくないな。いろんな経験をしてきて、つらいこともたくさんあったと思うけれど、だからこそメジャー調の曲を歌ってほしい。YOASOBIのayaseに書いてほしい。中森明菜ってこんなにすごいんだということを世間に知らしめてほしいです。
大滝詠一さんの「夢で逢えたら」をカバーしてほしい。
異国情緒感ある曲が好きなので、そういう曲をまた聴きたいです。
今のアーティストに曲を作って欲しいな。米津玄師とか、Official髭男dismとか。
みなさん感じることはそれぞれ。答えのない問いをみんなで考えることで、自分一人の中には見つからなかったであろう新たな発見が少しでもあれば幸いです。私自身も明菜さんについて考え、みなさんと意見を交わしたことで、新曲のリリースがより楽しみになりました。ご参加くださった方々、この度はどうもありがとうございました!
みんなの感想
#昭和ポップスラボ 第2回「中森明菜」
明菜ちゃんのリリース曲から話を深めていくラボ。明菜ちゃんの曲ってマイナー調の多さも特徴だったけど、今日聴いた「UNSTEADY LOVE」みたいなアップテンポな曲も似合ってて好きだなと。
リアルタイム世代と後追い世代、両方の話を聞けて面白かった!
#昭和ポップスラボ 中森明菜さんをテーマとしたいろいろな問いかけ、とても興味深いものがありました。チャッピー加藤さんが発言された、「今後の中森明菜さんに歌ってほしい曲のクリエイターがYOASOBIのAyaseさん」というのがめちゃめちゃ腑に落ちた。
「OH NO,OH YES」の明菜さんの夜ヒット動画がそんなページビュー稼いでるとは、昭和ポップスラボでこの日初めて知ったこと。
会場でも話したけど竹内まりやさんの作品であることがシティポップとして認められているのでは。そんなことを感じたものでした。
今回のイベントの感想は#昭和ポップスラボにて。感想を寄せてくださり、ありがとうございます!これまでの催事の感想は#平成生まれによる昭和ポップス倶楽部 から見ることができます。
7月の催事
6月も終わり、今年も折り返し地点に入りますね。夏の夜を彩るミュージックタイムをみんなで共有しましょう!
7月の交流会
7月の交流会はどちらも「昭和ポップス倶楽部的9の音粋」!
7/8(土)21:00~23:00@オンラインZOOM
「昭和ポップス倶楽部的9の音粋〜昭和ポップスをJ-POPにしてみた!Vol.7前編」
プレゼンター:雨玉さん
7/26(水)21:00~23:00@オンラインZOOM
「昭和ポップス倶楽部的9の音粋〜昭和ポップスをJ-POPにしてみた!Vol.7後編」
プレゼンター:雨玉さん
プレゼンにあたって、雨玉さんからのメッセージです。
昭和ポップス倶楽部、3年の時を経てついにこの人の特集をやることになりました。
楽に参加できるキュウオンに是非ご参加ください!
7月のイベント
7/16(日)日中<対面イベントで検討中!>
6月中にSlackの「#お知らせ」とHPでお知らせいたします。ぜひいまから日程の確保を!