コラムのない木曜日。

2020年5月に昭和ポップス倶楽部が発足してから3年と10ヶ月の間、毎週月曜日と木曜日に書いてコラムが、なくなった。

なくなった、という表現は、なくなってしまった経緯や今まで読んでくれた方のことを思うとやや粗雑な表現ではあるが、私の人生から考えると突然「なくなった」という感覚が正しい。

とはいえこのタイミングで日中の仕事がとんでもなく忙しくなったり、あたらしいコミュニティとして生まれ変わるための様々な作業があったりと、最初の2週間ほどは感傷に浸る間もなかった。そしてすこしだけ息をつけるようになった今、その習慣が「なくなった」ことに不思議な感情をおぼえている。

読んでくれていた人の生活の中にどれだけ溶け込めていたかどうかはわからないけれど、少なくとも私にとってこの4年弱の間、月曜日と木曜日は特別な日だった。いうなれば、勝負の日だった。これから大きな山を登ろうとするときの、雲に隠れて見えない山の頂点を仰いで、武者震いするような感覚。ウオオオオオやったるで、という気持ちと、ほんの少しの諦めたさ。しかし立ちすくむ暇はない。一週間は均等に時を刻み、必ずその日は同じ速度でやってくる。

2年目以降はルーティンになっていたとはいえ、思ったように書けない苦しみも含めてルーティンになるだけで、いつもハゲそうだった(適切ではない表現ではないだろうが、本当にこの表現がしっくり来るのだ)。脳みそが沸騰したヤカンのようにオーバーヒートすると、髪の毛の方から「僕、この頭皮降ります・・・」と降参していくような感覚があることを知った。最初は配信する時間も昼過ぎだったのが、どんどん他の仕事も押していき、最終的にはいつも22時過ぎ、日付をギリギリ跨がないようになんとか間に合わせる自転車操業。配信を確認できた後は燃え尽きて真っ白な灰になる。コラムでこうなのだから、週刊連載している漫画家の苦労はいかばかりだろう・・・といつも漫画家から勝手に元気をもらうなどしていた。

なんだか苦労自慢みたいになってしまったが、ここではそんな野暮な感情を押し付けたいわけではない。あくまで個人の振り返りとして今、書いてみたくなったのだ。人はいつか忘れてしまう(特に私の海馬は弱い)。でもせっかく頑張ったことは忘れたくないし、今このコラムがない木曜の夜に初めて湧いた感情を、文字にしておきたくなったというだけの話だ。恨み節ではないので、過去のコラムはこれからも(メンバーでいてくれる限り)読めるが、そのたび「この文章もしんどい気持ちで書いていたのかなぁ」などという邪推はしないでほしい。それに、色々書いたが、基本すべて好きな事に関するネタなので、かなり楽しんで書いていたのも事実だ。でも好きだから妥協したくなくて、だからこそ闘いだったというわけだ。読む側からどう映っていたかはわからないが・・・

実際にかなえさんからも「コラムで負担をかけてしまい申し訳ない」など言われたこともあったが、私とコラムの間にある絆?というのは誰かのためにやらなければいけないタスクとか仕事とかそういうものを超えた、身体と身体でぶつかりあった同志という方がしっくり来るような、そんな存在だった。

だからこそ、この今夜の、・・・なんていうんだろうな。「ウオオオオオ」で占められていたはずの木曜夜に訪れる静寂に、不思議な虚無感を感じている。

もっとすごい人はたくさんいる。「毎日投稿」を掲げて投稿するYouTuberも今や珍しいものではない。広い視野でみればそこまで大したことではないことはわかっている(それに最終的にやると決めたのも自分である)。けれど・・・いまでも「あ、これコラムのネタになりそう」と考える癖が抜けないことや、今夜のこの胸からポッカリと「なくなった」感覚こそが、これまでの月・木曜日に頑張っていた反動なのだなぁと思うと、それがすごく愛おしい。引退が決まった同志のこれまでの頑張りを、称えたいような気持ちなのだ。「淋しいけれど、おれたちいい闘いができたよな。誰も知らないと思うけれど、おれはおまえを忘れないよ」……こんな感覚、おかしいだろうか?

昭和ポップス倶楽部は2024年3月をもって新しく生まれ変わり、これまでコラムを配信していた場所は、「コラムアーカイブス」として交流会のアーカイブ等の置き場となる。これまでの属人的すぎた運営体制を反省して、人が変わっても、休んでも、誰かが代わりに存続させることができる体制に変わりつつある。ゆえにこれまた属人的だった「さにーのコラム」がリターンとして蘇ることは、ゼロではないが、一つの区切りは迎えたことになる。

最後に・・・今まで私のコラムという名の同志を支えてくれたのは、メンバー皆さんでした。リアクションがいい日やコメントが来た日は嬉しくて、何度も何度も読み返しました。それが私の「ウオオオオオ」となり、また新しくコラムが生まれていきました。いま、「立ちはだかる山」としてではなく、健康管理のために趣味で山を歩くように文章が書けて、それもまた、しあわせです。

終わりではないですが、ひと区切りとして。今までコラムを読んでくれて、ありがとうございました。そして私の同志よ、お疲れさまでした。

平成生まれによる昭和ポップス倶楽部のコラムニストとして執筆中!
最近YouTubeデビューしました。

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